最近の世代の方々はわからないが、昭和生まれくらいだと、人からものをいただいたときの包装紙は丁寧にはがし、何かに再利用を考えることが多い。
もちろん包装紙としてそれを包むために再利用というわけではないだろうが、たとえば荷物を人に送るとき下敷きや内側の区切りとして入れたり(新聞紙がよく使われる場面で包装紙を代用するということ)、あるいは口の開いた手提げ袋で人に何かをあげるときに、その口の部分に中が見えにくいようにきれいな包装紙をはさんだりすることもあるかと思う。昭和からの経験としては、そうしてきたし、されてきた。
ところがいわゆる欧米のドラマなどを見ていると、待ちきれない気持ちを表現しているという解釈らしいのだが、びりびり破る。いまだに慣れない。そしてその中味が「ぱっと見て意味はわからないがプレゼントをくれた人にとっては大事なもの」(たとえば家にずっと伝わっていた身近な品)だったりすると、もう気持ちとして、受けいれられないのである。
もちろん、自分がもらっているわけではなく、映像作品である。だが自分がもしそれをもらってしまったら「ぎょっ」と思うはずと、考えてしまう。仮に近い親戚の家からであろうと「○○おばちゃんの大事にしていたティースープン」などと言われたら、わたしはもらえない。道具として使うならば新品がよいし、思い出の品としての価値は、その○○おばちゃんとほんとうに親しかった人がもらって初めて意味があると思うのだ。
この件は先日ChatGPTに尋ねたが、誰かが大事にしていた品を人に贈る(またはビンテージ品として売買する)ことは、日本人ほど抵抗を感じない人が多いのではないかということだった。わたしは本人同士が共通して同じ価値を感じているものならば(たとえば収集家に対して、それを持っている人が譲渡または売買する)、何も問題がないと思う。だが思い出として人にあげるというのは、わたしは困るのである。人の「過去の思い」などを引き受けられない。だがいきなり持ってこられたら困りますと言えないし、人間関係の破綻が頭をよぎるので、苦労すると思う。
とにかく、わたしは実用品など「使う」ものは新品で買うし、もし何かくださるという方がこの先いらっしゃったら、思い出の品は遠慮させていただきたい。