Facebookに、少し慣れてきた。だがやはりアメリカ生まれのサービスだけあって、こういうところが日本と違うのだなと思う点がいくつか。ひとつはだんぜん「公開が原則」という点だ。
自分が載せたアルバムに、「外部の人に見せる場合はこのURLを教えましょう」という表示があったので、ログインしていない別ブラウザでそのURLを見てみた。すると、アルバムどころか本人と友達登録しているのが誰かとか、その人たちの名前と画像が芋づる式にクリックできてしまう。もちろん見られるのはその人たちが設定している写真と名前くらいだが、Facebookは実名登録をしている人が大半なので、人によっては何やら落ち着かない気分になるのではないだろうか。
まあ、裏を返せば、登録してありさえすれば赤の他人が見に来てもいいのに未登録者が見ては嫌だという理由は何か、ということにもなる。もちろん、明確な理由などない。Facebookはメルアドがあれば誰でも登録できるのだから。ただ単に、何もこんなに見せなくたっていいのになと、漠然とした思いがあるにすぎない。
10年以上前、ネットでは誰かの掲示板に本名やメールアドレスを書くことはあった。本名(もしくはそれっぽく見える名前)は、あきらかなハンドル名よりは信頼性が高まる気がしたし、10年以上前に現在のような「捨てメルアド」を持っていた人は、少ないと思う。なんとあのmixiでさえ、最初のころは「本名のほうがお友達から探してもらえる確率が高まります」と、推奨していたように記憶している。
おそらく、あまりに急激にネット社会が拡大したために、その社会の成熟が参加者増加に追いつかなかった。そのためさまざまな「各人の常識」がまかり通ってしまって、実生活よりもはるかに多いトラブルを産みやすい場所になったのだろう。かくしてネットは、本名は出さずクローズドな会員制を求める人たちが増えることになった…のではないだろうか。
いまこの状態の日本(のネット社会)で、オープンな明るい場での交流は、向いているのかいないのか。
わたしはどうも、とことんクローズドな場所をひとつふたつ持っていて、そこが楽しいと思えてはじめて、大きな場所も楽しめるような気がしている。ネット初心者がいきなりFacebookやmixiにはいったら、何をしたらいいのかわからないうちに、ネットはつまらない、と思うのではないか。
こんなことを思うにつけ、Facebookの利用者が日本で爆発的に増えることは、たぶんないのではと想像するし、逆にFacebookは日本人の好みに合うような閉鎖性を無理に持たせることも不要と思う。ゆっくりと日本に浸透していけたら、新たなネットのあり方として、Facebookは貴重な存在になるかもしれない。
私はfacebook を始めて、お友達が見付かりやすいのでとても嬉しかったです。mixiは匿名性がありすぎて、友達でも見付からないので・・・。
でも、逆にその匿名性のお陰でバウムその他の世界を発見して非常に楽しいです。これらコミュのことは、公開の場ではあまり大っぴらにはしていませんから(笑)
最近は、twitterとfacebook、mixiをそれぞれ連携したので、共通の部分も増えましたが。
微妙な使い分けですよね。よもや、全部使うことになるとは思っていませんでした。
そうですね〜、この数年で本格的に使いはじめたという方はとくに(みっちゃんさんがそうだと決めつけているわけではないですよ ^^;)、もともと知っている友達を見つけるのが、たいへんかもしれません。
わたしはmixi以前にパソコン通信時代で、わりと本名などを教えっこしていた友達が多かったし、その当時のお友達はmixiではあまり交流していなくて、なんとなく誰かの噂話で「あの人は最近これこれだそうですよ」と聞けば「ネットのどこかにいるんだな」と安心していられます。それに、共通の友達などを通じれば連絡がとれるという安心感もありますし。
最近はほんとに、たいへんかもなぁ。。。(しみじみ)。。。