SNS運営などでは、しばしば「最終ログイン時間を非表示にできないか」というカスタマイズの相談を見かける。運営者本人もしくは参加者が、その表示に不快感を持つためだろう。
わたし個人は、ログインから何時間という表示を見られてどういった不快感があるのかいまひとつ実感がわかないが、気にする人にはそれなりの理由があって、おそらく「消せるものなら消してくれ」という強い思いがあるから、運営者に要望を出すのだろう。
わたしもまた、OpenPNEの2系は誕生日公開が必須ではないことを知っているので、参加者の誕生日を強制公開しているSNSを、1時間で退会したことがある。退会理由には「登録しなくてもほとんどすべての内容がウェブから読めることと、誕生日の強制公開が納得いかない」と書いた。
おそらくその運営者にしてみれば、なぜ誕生日を公開されて不快に思う人間がいるのか、わからないのだろう。わたしにしてみれば「参加者個人が設定画面で誕生日公開か非公開かを選べるはずなのに、わざわざ全員を公開にしている場所はわけがわからない」のだ。選べる用意があるシステムをわざわざ選べないようにするのはなぜか…。余計に手間がかかるというのに?
人に「慣れろ」ということは簡単だが、話者の思いを相手が共有できるかどうかは、わからない。自分が慣れて気が楽になったからあなたも慣れなさいというのは、思想の強制であり、言われた側にしてみれば、苦渋となりかねない。だから、少しでも相手を尊重し、自分が少数派にまわったとき苦渋を味わわずに済ますためには、世の中には「選択肢」というものを、多く用意しておく必要がある。
たいていの場合は、上記のわたしの例のように「自分の肌に合わない場所はさっさと退会しておく」という手段で、摩擦を防げる。そして、人をもてなす側(システム側)も、公的存在でもないかぎり(1)は、自分がやりやすい方法で管理ができるよう、選択肢は自分の理解がおよぶ範囲で設定する。おたがいがおたがいを選べる世の中であれば、それで問題がない。
インターネットのサービスは星の数ほどあるのだから、好きな場所を選べば、それでいい。サービス提供側もまた、参加者の居心地のよさを検討する余裕がある場合において、その範囲内で対応すればよい、ということだ。
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(1) 国や公的機関ならばまた話は別。
わたしは「公的な存在においては、選択肢は可能な限り増やすべき」という考え方だ。この国が気に入らないなら出ていけというわけには、いかないのであるから。
たとえばわたしは「結婚したらどちらかの姓がが変わるものであり、慣れればいい」という言葉に、かなりの苦痛を感じている人々を知っている。そして、(そういった人々に)選ばせることが納得できないから、選べないまま(現行)を望む人々もいるらしいと知っている。わたしは後者をいまのところ理解できないが、選択肢がある世の中に慣れろと、強く言うことはできない。