テレビ番組「噂の東京マガジン」あたりで扱いそうな話だけれど、やはり地域の「寺」と「檀家」、そして「墓」というのは、その土地にどっぷりつかって何世代も暮らしている家庭でもないかぎり、わかりづらいし明文化されないし、いったん不信感が芽生えたらもう修復が困難なところまで突っ走ってしまいやすい性質を、はらんでいるのではないかと思う。
佐賀新聞
檀家が集団脱退 庫裏新築費負担で寺院と対立 唐津市
高齢化社会になって檀家が減り、一軒あたりの負担が増えていくことに加えて、たとえばこの記事にあるような、檀徒の積立金を後継者を迎える結婚式費用に使うことがあったりしたら、溝は深まっていくだろうな。
わたしは個人的に、自分が死んでも寺や墓はどうでもいいと思っている。理由のひとつは、誰もお参りする人もいないからだし、そんなことに大金を払ってもらうわけにはいかない(あるいは自分が亡くなるまでに生活費を貯めておいて死後の墓準備に備えることはあり得ない)という、現実的な問題もある。
だが、その地域で眠りたい、昔からの墓を守ってその墓にずっと次の世代もはいっていきたいと考える人がいるなら、周囲の檀家が抜けていくことは、悲劇であり、深刻な悩みであることと思う。