2007年の認知症患者(徘徊癖あり)が事故死した事件で、JR東海が家族に対して求めた損害賠償を、名古屋高裁もまた認める判決を出した。
東京新聞 2014.04.25
認知症で徘徊 JR東海事故 高裁も妻に賠償命令
これは、あまりに重苦しく、悲しい話だ。
家族は24時間寝るなというのか。認知症患者の足首にセンサーをつけておいて、無断で家を出たらビープ音を鳴らすようにしろとでもいうのか。ヘトヘトになっているところに罰がくだされるのなら、1日の半分くらい本人を薬漬けにして寝ていてもらうと言い出す家族も出そうだが、そんなことをしたら人権侵害だと目くじらを立てる人々が山ほどいる。そしてその人々は、口だけ出して手は貸してくれないだろうと思う。
衝動的に、何が何でも飛び出してしまおうともくろむ認知症患者を、普通の人が100%見守るなどということは、無理だ。しかもこの場合、当時の年齢でさえ夫人は85歳だったという。じゅうぶんに高齢者である。
誰かを訴えなければという考えになる企業の立場は、わからないでもない。だが、なぜこんなことになったのだろう。
仮に認知症高齢者でなく、若い世代が何らかの事情で電車にひかれて死亡した場合(望んだ自殺かもしれないし、体調不良で線路に落ちた事故かもしれないし、はたまた心の病だったかもしれない)、鉄道会社は家族に賠償を請求するのだろうか。しかも、裁判を起こすのだろうか。わたしにはそうは思えない。なぜなら残された家族はその死に対して責任がない以上に、遺族でもあるのだから、強い態度はとれないだろう。おそらく話し合い(示談)で、話をまとめるのではと想像する。
今回のケースはJR東海ににとって、ただひたすら「訴えやすかった」(家族が監督すべきという、つつきやすい場所があった)のではないだろうか。おたがいの主張する論点は「見張っていればよかった」であり「無理ですよ」であり、それらはけして交わらず、平行線となったのだろう。
認知症がどんどんと増えるこれからの社会に、この件が大きな雲となって影を落としそうで、不安に思う。