世の中に先んじていいアイディアを出せる人間と出せない人間がいるとしたら、自分は間違いなく後者だと思う。世間一般よりはそこそこ早めに何かに目をつける場合もあるかもしれないが、問題はその先だ。自分でそれを居心地よく感じてしまい、次の段階を求めない。のんびりしてしまう。
たとえばヤマト運輸が宅急便をはじめるまで、世の中に(郵便小包以外での)家庭間を想定した物流システムはなかった。他社が追いかけるが、けっきょくはヤマト運輸が新しいアイディアを出しまくって、他社を大きく引き離す。おそらくその発想の原動力は、客が何に困っているか(たとえば昼間は外出しているのに配達が昼間ばかりやってきて受け取れない)など、意見を大切にして吸い取りやすい社風を生んでいたことなのだろうと想像する。
ソニーがウォークマンを開発するまで、音楽はラジカセだった。大人数が集まる場所では、自分たちの周囲だけで楽しめるように音を調節して聞いていたと思う。ところが人は音楽を持ち歩けるようになった。歩きながらも自分の世界に浸れるようになった。集団から離れるわずかな「個」の時間を大切にしたいと思う人びとが、以前より増えてきた時代に、ウォークマンはうまく乗った。
作れば作りっぱなしではなく、利用者の反応を分析して次を読む、つまり「相手を思う心」があれば、人は先が読めるようになるのだろう。もちろんそうすることで自分にも達成感や満足感としてもどってくるわけだから、大きな動機ともなり、次の「やる気」へとつながる。
わたしは何かをはじめるとき、たとえば新しいサイトを構築したときなど「あ、こんなの便利そう」、「作ったら楽しそう」、「一生懸命やってみたから、ああ居心地がいい」と、自分のことばかり優先して考えてしまっているのかもしれない。あるいは準備にいたる過程で「よっしゃ、学んだー!」という気持ちが、すでに達成感の一部になってしまっているのだろうか。なんとか次の段階までその集中力を維持できたらいいのだが。
一度くらいすごいアイディアを思いついて自分で自分に感動したいと思うのだが、動機が不純なせいか、たいしたことは浮かばない。また、差し迫っていないとか、自分に時間はまだあるとか、何も追いかけてこないというところで、真剣味が足らないこともじゅうぶん考えられる。つまりすごいアイディアを思いついてそれを実行に移し、なおかつやる気を維持させながら発展をとげたいと考える前に「必要に迫られてみなくては」という命題があることになる。
必要に迫られてみなくては、というのは、まさに難題だ。まずここをクリアしてから次に進むわけだな。では自分が何を必要としているか、なぜそれが足らないのかを考えていかねばならないが、ここで根本的な問題にもどる……それらをすべてクリアしてすごいアイディアを発案・実践したところで、所詮は「それで自分が自分に感動できるか」という、ちっぽけなことが目標なのだろうか。けっきょくは自分てすごいが言いたいだけなのか。それでは人間があまりに小さくて、情けない。
こんなことを考えつづける自分が情けなくて、くだらない気がするが、それでもやっぱり、何か独創性のあるアイディアを生みたい。これからも考えつづける。おそらくずっと、考えつづける。