今年は黙祷の時間が近づくにつれ心が落ち着かず、テレビを見ながら体が震え、天皇皇后両陛下が参列された国立劇場からの中継と陛下のお言葉で、涙が止まらなくなった。そして、その後も震災の映像で(あまりたくさんは見ないようにしたのだが)、体が震えた。涙が出た。
年々、思いが強まる。このブログで毎年この日に何を書いてきたのか、日付で検索してみた。去年の分は長かったが、2012年と2013年は、何を書いたらいいのかわからなかったのだろうか、あっさりとしたものだった。
まだ避難所(仮設住宅)で過ごす方が、何万人もいらっしゃる。生まれ育った土地にもどりたい人、あきらめた人、生活のため気持ちを切り替えて新天地を見つけた人、それぞれいらっしゃる。だが、復興も東京オリンピック準備の影響で資材が値上がりしたり、人手が足らなくて、思うように進まないようだと聞いた。皮肉なことだが、こういった悪い予想ができていた人も多いのではないだろうか。やはりな…、と。
東京オリンピックの誘致のため、あのときばかりは国も東京都も「被災地の復興に役立つ」とか、「福島の状況は完全にコントロールされている」とか、言いたい放題だった。もし仮に東京が潤えば地方にも活力がみなぎるなどという言い訳を用意しているのだろう。だが、国内のひとにぎりの金持ちが株で儲けても大半が苦しんでいる経済政策(いわゆるアベノミクス)の現状を見ても期待ができるはずがないことは、わかりきっている。
これだけ一極集中ですべてを東京(とくに東京駅界隈)に集中させておいて、地方を元気になど、とても本気とは思えない。本気ならば、そもそも「地方で」オリンピックをやるべきなのだ。東京はもう何もかもが飽和状態だし、壊してまで建てるくらいなら、地方で新しく体育館など必要な施設を作ればいい。建設関係者などで数年間の人口が増えるだろうから現地で経済がまわる。何よりではないか。
何を言ってもだめなのだ、政治家も行政も聞く耳など持たないのだと、つい、気力が萎えてしまう人もいらっしゃるだろう。もはやこの国は、そういった「国民のあきらめ」を期待しているのではとすら、考えてしまう。
あの日を、忘れない。あの日からいままでを、忘れない。ドイツのメルケル首相がとてもまともに感じられる言葉を伝えに(原発がほんとうに必要なのかどうか、戦後に自国の総括をしたから現在のドイツがあると語りに)日本にやってきた。それでもこの国は変わらない。どれだけおろかな道に進むのだとしても、わたしは日本人であり、日本に住みつづけるのだから、おそらくわたしにできることは、おろかな選択が国をどう曲げていくのかを見つめつづけて、遠い将来にそれを誰かに語ることだけなのだろう。
そのためにも、これまでの4年を、忘れない。