昼前から午後の早い時間まで、少しだけ吉祥寺に出かけた。
わたしはだいたいにおいて、食品売り場以外は詳しくない。食品というのは買いすぎたら傷むので、(冷凍品や乾物でもないかぎり)1日に買える量に限度というものがある。ぶらぶらと見て回っているだけなのか「最低限これだけは買っていく」という意気込みがあるのか、ときにわたしも自分で自分のことを、今日は売り場巡りの速度や目つきが違っているのだろうなぁと、感じることがある。
原則として、めったに新しい店には行かない。慣れている巡回ルートのようなものがあり、それを崩すと時間内に最低限の店が回れなくなるのだ。今日は時間が短かったことや、予定外に(最近はあまり出かけることが多くなかった)西友にまわってしまったので、ルートを大幅に短縮し、早めにアトレにもどってきた。
ある洋菓子店の売り場で、女性店員がふたりで話をしている。あきらかに無駄話で、あまり声を落とす努力というものをしていないことからも、誰もとがめる人がいないのだろうが、ちょっとみっともない。わたしは遠くからその売り場のショーケースを見て「今日もし買うとしたらあれだけだな」という目星をつけていったのだが、こちらが立ち止まってケースを覗きこんでも、少し声を落とし、言葉を数秒ずつ切ってはこちらの動きを見るだけで、わたしがもし去ったら続きを話そうとしているのがありあり。まぁ、こちらもどうしてもほしいわけではなく、数日は日持ちするだろうから買ってもいいかなぁ、という程度だったので、そのまま去った。
だが去ったとはいえ同じフロアの別の店をぐるぐる見て回っていたので、買うつもりはなくともその売り場近くは通ってしまうのだが、店員さんたちはふたりとも、おそらくわたし以外の客が近くを通っても、同じ態度なのだ。一瞬だけ声を落として、話を数秒ずつ区切ってゆっくりつづけ…。あなたたちが話をやめたら、立ち止まる客が増えて売り上げが伸びて忙しくなり、話をしている暇もなくなるのだが、そこに気づくことはあるのだろうかと、余計な心配をしてみる。
小規模な小売店では、さすがにこれはない。なにせ店にはいってきてくれるだけでも(デパートや駅ビルなどと違い)、ありがたいのだ。できるだけ「買って帰ってくれオーラ」を出しながらこちらを伺う。真剣である。こちらもそういう店にはいるときは、買う気があるときにしてあげようとは、思っている。よほど混雑していて「ちらっと見てそのまま帰れそうなら帰っちゃえ」という場合ならば別だが、だいたいの場合、小規模な店にはいるときは、買うつもりで入店する。そして売りたがっている人の店では、おうおうにしてよい買い物ができる場合がある。
社会人になって最初の職場に、ぱっと見で20歳くらい年上の女性がいた。部署が一緒で退出時間がほぼ一緒であったので、駅までの長い道のり(勤務地はJR田町駅から慶応大学よりもさらに歩いて麻布すれすれだった)を、買い物や甘味などで寄り道しながら帰った。そんなときその人は、たとえ初めてはいる店で、何かを買う予定がなくても、「見て気に入ったものがもしあるなら何だって買うわよ」の目つきをしていたらしく、入店すると同時に店員さんはわたしに見向きもせず、その人にぴたっと寄り添って商品解説をしていたものだ。
店というのは、そういうものなのだと思う。
わたしはアルバイト以外では物販や飲食の接客をしたことがなく、会社勤めのころも電話応対や事務が中心だった。上記で紹介した最初の職場などは、最初のうちは夜間に学業があったため特別に優遇してもらい、書類管理など、残業がほぼあり得ない場所に配属してもらった。それなのに、書庫や物置のような場所で人が少ないこともあり、ぺちゃくちゃしゃべっていることも多かった。いまにして思えば、いくら若かったからとはいえ、優遇してもらっておきながらお荷物社員だったと思う。申し訳ない。
そんな自分の若いころのことを考えると、ほんとうに気持ちのよい接客(する側される側)や、社会の大きな流れや仕組みを把握するころ、人はある程度の年をとってしまっていることが多いのだろうに、早くからきちんとしている人、真摯に取り組んでいる人というのは、どの段階から人間のできが違うのだろうと、軽く悩んでしまう。いや、いま悩んでも遅いのだが。。。それにしても、考えてしまう。
それにしても、今日もしあの売り場の店員さんたちがふたりして真剣な顔をしていたら、わたしはきっと菓子を買ってしまったのだろうと思うと、おかげで節約になったということで、いいのだろうか。いやいや、その店で買っていたら最後に寄ったあの店で何も買わずに帰ってきた可能性もあるから、けっきょく収支は大差なしか(^^;?。