今日、本屋で雑誌をふたつも買ってしまった。いつも「かさばる、読んだら見直すのはせいぜい三日くらい、だからできれば買わないほうがいい」と自分に言い聞かせるのだが、どうも実物を目の前にすると「家に帰ってから、やはり買えばよかったと思うくらいなら、買ってしまえ」とも思うのだ。
今日は購入していないが、柴田書店のCafe-Sweetsという、飲食業を志す人が見ておくとためになりそうな雑誌がある。店によっては料理の棚においていたり、フードビジネスの棚にあったりと、探すのがけっこう面倒なこともあるこの雑誌だが、やはり今日も見当たらず。店員さんに尋ねると購入意思と勘違いされることがあるのでできれば声をかけたくない。
それならば、買い忘れたり買わずに後悔したときは電子書籍版もいいなぁと検索していて、値段を見て驚いた。
なんで活字版と電子書籍版の値段が同じなのだろう? 問屋から書店への移動の手間も運賃も、あるいは出版社から個人宅への郵便代もかからないのだから、コストは確実に下がっているはず。あれほど薄っぺらいNHKの語学講座テキストでさえ、デジタル購入なら1ヶ月につき数十円を引いてくれるのだ。
やはり、作る側の意識の問題だろうか。読み手が受けとる情報の質と量に違いはないのだから、コストがどうのではなくて自分たちの作品を同一値段で読んでほしいとか、そういう思いなのだろうか。あるいは雑誌はやはり紙と活字であると考える社の方針でもあって、電子書籍のほうに人が飛びつくのはおもしろくないと考えて優遇していない…ということも? 不思議だ。
紙の本より安いしすぐ読めるからと、とてもおもしろい題材の本をAmazonからKindle版として購入したことがあるが、わたしの場合は相性が悪いようだ。かさばると思っても従来の活字のほうを買ってしまう。こういう人間も、なかなか減らないのではないかと、個人的には予測している。