最近の自分をふりかえって、思うこと。
若いころは、店をでるときやものを尋ねた相手に軽い会釈や身振りで「ども」というかのような態度で示し、それで終わりにしていたような「仕草のコミュニケーション」が多かったように思う。最近は逆に、あまり態度に出すのではなく言葉で「お世話様です」とか「お世話様でした」と声をかけながら去ることが多くなってきたような気がしている。もちろん、飲食店であれば「ごちそうさまでした」であるが。
いきなり話が20年前に飛ぶが、当時とても流行っていたアメリカのテレビ番組X-Files(エックスファイル)で、主人公のFBI捜査官モルダーが、発車しかけていたバスの運転手を呼び止めてバッジを見せ、ものを尋ねたあと、礼も言わず挨拶もせず、ただドアを閉めて降りたことがあった。それがとんでもなく衝撃だった。「こいつ、失礼だろ」と(^^;。アメリカの視聴者はどう思ったか知らないが、主役がこれじゃ印象悪いなと、わたしはかなり驚いた。幻滅とでもいえばいいのか。。。
自分もけして礼儀正しいわけではない。どちらかといえば人間関係において淡白を通り越して無愛想と思う。だがそんなわたしでも、だんだんと、口で何かを言うコミュニケーション(たとえそれが決まり切った言葉であっても)を心地よい(もしくは必須)と感じるようになってきたように思う。
人間として自分が円くなってきたということなのか、あるいは年齢である程度以上の人はそう感じやすいというものなのか、よくはわからない。だが語り合ってみないとわからない(声を出し合ってみないとわからない)ことは、世の中に多いと思う。
今日は病院の診察待ちで、待合室の椅子がほとんどふさがっていた関係で、受付近くの騒がしい場所で待機していたところ、いろいろな人を見かけて人間ウォッチングを楽しむことができた。そのなかでひとり、見たからに東南アジア系の男性が、受付で質問していたのだが
○ その男性は、発する単語の8割くらいが英単語
○ 窓口の係は、その英単語を聞き取って、日本語で返事をしている。
○ 男性は日本の病院の窓口で、紙を指さしながら質問しているのだから、程度はわからないが日本語はできるはず
○ 窓口の女性も、相手の英単語を聞き取って返事しているのだから、英語はわかっている
…このふたり、ずっとそのままのスタイルで、何度も何度も同じ意味の単語(英語と日本語)を、ゆっくり言ったり、少し言い換えたりしながら、しゃべっていた。内容はそれほど重要そうではなかったので、ただほのぼのと見ていたが、男性はわかったのかわからなかったのか、それでも窓口の女性に「サンキュー、ありがとう、ありがとう」と言いながらいったん去った。
でも10分後くらいに別の女性にも似た質問をしていて、やはり「サンキュー」と言っていたので、質問の答えが人によって違うのなら自分にとってラッキーという程度の意味合いで、当たって砕けろとばかりに、話しかけていたのだろうと思う。
もしこの男性が、最後にサンキューもありがとうも言わずに去ったり、またもどってきたりしていたら、場はかなりぴりぴりしたものになっていたと思う。
言葉、そして挨拶というのは、場をなごませることができるのだと、しみじみ感じた。