最近あちこちで、重い話を含めて全力投球で書いている日があるので、広島や長崎の原爆に関しても、もちろん追悼の気持ちは強く持っているのは事実だが、できればこのブログでは書きたくないというのが、今年の思いだった。だったら休んでしまうという手もあるのだが、どうしても、1日1投稿を目安につづけていることであり、かえって不自然な気がしてしまう。
かといっておちゃらけた話をわざわざ探してくるほどの気分でもなく、いったいなにを書こうと迷っていたが、どうやら、最近はあまり原爆の日が知られていないというのはほんとうらしい。不注意なのか暑さなのか、どうやらディズニー・ジャパンも、やってしまったようだ。
2015.08.09 毎日.jp ディズニー・ジャパン:ツイートを削除、謝罪
ウォルト・ディズニー・ジャパン社が9日、公式ツイッターでアニメキャラクターの挿絵とともに「なんでもない日おめでとう」とツイートしたところ、「長崎の原爆の日に不謹慎だ」などと批判するリツイートが相次いだ。
広島、長崎それぞれの原爆の日について、もしかしたら、あまり細かく伝えると子供がトラウマになるという考え方もあるのかもしれない。わたしは子供のころ8月が怖かった。「8月がくるたびに」という絵本が、やたらと怖かった(最近はその絵本も挿絵がマイルドになっているらしいが…)。そして8月は何回も何回も、怖くて難しいテレビ番組をたくさんやっていて、内容もよくわからないけれど服装がみんな古そうで、女性はもんぺをはいていて、なんだか精神的につらいなぁと(当時はそんな表現を知らなかったとは思うが)、思ったものだった。
だが怖いと思いはじめてから数年目に「日本に暮らす以上、これはきっと、8月はこういうものなんだと思うのが正解なのだ」と、思うことにした。
戦後と呼ばれる日々が70年。いまも世界のあちこちで紛争がある。民間人が犠牲になる事件もあとを断たない。忘れて水に流したかに思えた憎しみが、蘇ってきてしまうこともある。あのとき悔しかった、誰が殺されたと、そういう思いが蘇ってしまう。どう断ち切るか。どう中和するか。
人類は、何かを学んできているのだろうか。