自分が東京に住むようになって最初の1〜2年は、夏は田舎に帰るものだと思っていたので、東京がその時期どうなっているかは考えなかった。だが数年後、最初の職場が銀行関係だったので(窓口ではなく事務センターでの業務請負)、お盆もオフィス街にいるようになった。「東京って、お盆はこんな風に人が減るんだ、映画のロケに使えそうなくらい人がいないぞ」と、普段とのギャップに驚いたものだった。銀行は年末年始も数日間しか休めないので、とくに年の瀬のオフィス街は「これは”復活の日”(角川映画)に使えるな」と思ったほど、誰もおらず。
だが、東京に根を下ろし、会社員ではなくなってからでも20年以上経つ現在、自分の見ているものが違うのか、あるいは人が実際に変わったのか、東京は「人が減らない」街になってきたように思う。商店も一斉に閉店する光景が減った。数軒おきに、ほんの数日間の休みをお知らせする紙がシャッターに貼られているが、期間も短い。休んでいる場合でもないということか、あるいは東京に人が残っているから需要があるということなのか。
そういえば、正月は以前なら三が日くらい休む商店があっても、年末に買い置きしておけばよいと思う人がほとんどだったし、とくに不便がられることもなかったように思うが、いまはデパートは2日から、スーパーは休まない店も多く、一般小売店はそれほど長く休んでいたらすっかり出遅れてしまうことになるだろう。
買い物がレジャー化している(買うこと自体がイベントであり楽しみ)という現象もまた、都会や大型店舗に人を集める結果になっているのかもしれない。かつてはデパートの屋上は子供向け遊具があったり、あるいは簡易な遊園地、現在はデパオクといって、庭園にしている場所も増えてきたと聞く。人は連休などの過ごし方において、「同じ場所に暮らしたまま、出かける先をちょっと変える」という、ささやかで近隣型の楽しみを選ぶようになってきているのかもしれない。
さて、お盆に話をもどそう。
わが家はといえば、義母が週に4回お世話になっている介護サービス(デイサービス)は元日に休むほかは暦どおり(日曜のみ休業)でまったく影響なく、感覚としては日常と大差ない。仏壇にはいっているのも4年前に死去した義父のみで、御供えと花をいつもより少しだけきれいに整え、線香をあげるのみで済んでいる。墓は遠隔地なので行けず。そしてわたしの田舎の人間も高齢なので、最初の年に(お盆まっただ中を避けて8月ころ)線香を上げに来てくれたが、それ以外は線香を上げに来てくれるような、行き来をするような間柄の人もおらず、まったく日常そのもの、こぢんまりとしたお盆である。