14日の首相による戦後70年談話についてはあまり語りたくないが、今日は天皇陛下のお言葉に、ほんとうに驚いた。
東京新聞から 2015.08.15 → 天皇陛下「深い反省」初言及 終戦70年 追悼式でお言葉
終戦から七十年を迎えた十五日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、全国から集まった遺族約五千五百人らが、約三百十万人の戦没者を悼んだ。天皇陛下はお言葉で「さきの大戦に対する深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬこと」を切に願うとして、これまでになかった「反省」という言葉を使い、不戦への思いを述べられた。
政治家や外務省がきちんと外交をしないから、そして文字数ばかり長くともこれまでより意味の薄い(しかも決意や方向性が異なる)談話を首相が発表するから、陛下がこれほどに意味の強い言葉を選ぶ決意につながったのではないだろうか。
2004年の秋に当時の東京都教育委員の米長邦雄氏(棋士)が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と陛下に話しかけた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と陛下が返され、それが異例であるとして、話題となったことがある。そうしたことひとつとっても、普段からお言葉にどれほど配慮されているか、想像するに余りある。周囲へのさまざまな影響を深く考えていらっしゃる陛下が、これほどまでに踏みこんだ言葉をお選びになったことを、政治家は真摯に、重大に受け止めねばならないはずだ。
わたしは幼少時から20代中盤くらいまで、なぜ周囲の人々が皇室を敬うのか——むろん誰かに言われたわけではなく自然発生的な思いではあるのだろうが、それはどこからどんな風に気持ちがこみあげてきた結果なのか、そういったことがよくわからなかった。だが年を重ねるにつれ、そして平成の天皇皇后両陛下のお人柄やご発言に触れるにつれ、とても深い思いを感じるにいたった。同じ空の下で、同じ空気や日差しを共有している存在として、素晴らしいご家族がみんなを見て、あれこれ考えてくださっている。これが敬いの気持ちであると同時に親しみでもある、皇室への自然な気持ちなのではと身をもって気づくようになるまで、長い年月がかかってしまった。