熊本県を中心に14日から継続している大きな地震災害だが、さぞ現地の方はおつらいことと思う。心配で睡眠もじゅうぶんにはとれないに違いない。また、現地に住むご家族や縁者を案じる大勢の方々もいらっしゃるはずだ。
案じている人、何らかの支援行動のため実際に出かけた(もしくは出かけようとしている)人、これまでの災害から学んだノウハウをお持ちで助言をしたいとお考えの人、さまざまにいらっしゃる。そしてそれぞれの方々が善意と信念で動こうとしている。だがそのとき、自分の意見と違う人の行動について、どうしても厳しい目で見てしまうことがあるようにも思う。
すぐにでも駆けつけたい、自分の手で物資を運びたい人の気持ちは、痛いほどわかる。だが善意の一般人がたくさん現地入りしては、かえって公的機関やそれに準じる組織の行動に支障が出てしまうかもしれない。つらくても、少しだけ待ってみることが必要だ。
ネットを見ていると、何らかの方法ですぐ物資を現地に送りたい方々(現地入りも含む)について、かなり厳しいご意見の人もいらっしゃる。わたしには、どちらの気持ちもわかるが、おたがいに善意によるものであるからこそ、どちらの側も自分は間違っていないと、ともすれば強くぶつかってしまいかねないのが、見ていてつらい。
こういうこと(考え方の相違によるぶつかり合い)は、今後もずっと、何か大きな災害や事件が起こるたびにくり返されるとは思う。同じ人が批判する側から実行する側に移る可能性すらある。立場が変われば自分が何を正しいとするかは、そのときにならないとわからないかもしれないのだから——。
どれだけ長い時間がかかっても、災害や事件の状況が落ち着いた段階で、一般人ならば体験談を書籍に著す、あるいは学識者らが研究結果を発表するなどのことを通じて、発展的に話の「まとめ」を、大勢で共有しておくことができれば理想的だ。いざ何かが起こったときの対処を、さらに身近にしておけたら、現在よりさらに協力できる社会になるような気がしている。
もうひとつ、感じたこと。
マスコミが飛ばすヘリは、現地の方々にとって多くの場合は騒音だという話もまた、よく耳にする。だからマスコミのヘリはいっさい飛ばすなというご意見も、ときおり見かける。おそらくヘリそのものが多いのは事実だろうと想像するが、わたしは、まったくなくすわけにはいかないという意見を持っている。
空から見やすいようにメッセージを書く人々、空に訴える人々を、見つけられる可能性が、それで高まるのも事実だ。そして誰か/何かひとつの存在(仮に「国」とする)にのみヘリの飛行を任せたとき、そのときに「何を優先するか」で、取りこぼしは必ず出る。だから全体的な数量や割合は大いに見直すべきであろうとは思うが、異なる母体を持つふたつ以上の存在からヘリを出すのは、よいことと思う。
熊本県を中心とした九州のみなさまに、一日も早い心身と日常の安定をお祈り申し上げます。