電車に乗っていて「席を譲ったほうがいいかな、それともこの人はそんなことを言われると思っていないかな」と、たまに考えてしまうことがある。これはわたしだけの経験ではなく、周囲を見ていても、声をかけるのが(断られるのが)面倒で、譲ろうか迷った相手がこちらに気づいている状況を確認してから、故意に席を立つ人もいる。
今日、外出で東京駅から電車に乗って帰ってきた。東京駅から高円寺方向は始発の電車が5分おきくらいに1本出ていて、もし目の前の電車で座れそうになければ、5分程度予定を遅らせて、別ホームにはいってきた次の電車のほうに腰を下ろす。
わたしがそういう方法で端の席をゲットし、連れとふたりでiPhoneの画面を見ながら何か話をして出発を待っていたときのこと。わたしの方角に直進してくる人影があることに気づいた。ふと見ると、斜め前に高齢女性が立っている。見た目や顔のしわは高齢女性だが、足腰はけっこうしっかりしていて、引くタイプのカートを重そうでもなく持ち歩いていた。
わたしはとっさに、いつもならあれこれ考えてから声をかける(あるいはかけない)のだが、普通の大きさの声で「おかけになりますか」と尋ねてみた。相手の高齢女性は少し驚いたようで、きっぱりと「けっこうです」と言う。わたしは念のため「大丈夫ですか」と再確認してから、席に座りつづけた。
ほんとうに座りたかったら5分か10分の予定を遅らせれば、座れること。それを知らないほど電車慣れしていない人ではないこと(歩き方でわかる)。それでも座りたいならば人は優先席のあたりに立つ場合が多いであろうこと。そして何より、いまから思えばだが、「おかけになりますかを言っては来ないであろう、普通の(優先席以外の)席の人」の前に立つことにしたのであろうこと。声をかけてみてよかった。しばらくは落ち着かなかったが、相手もわたしに気を遣わせてはいけないと思ったのか、わたしに背中を向けてバーによりかかるようにして立ってから、新宿でさっそうと降りていった。
声をかけるか、かけないか、そんなことで数分以上ももやもやするのは、時間の無駄であり精神的にも落ち着かない。今日のように、さっさと声をかけてしまえばいい場合もあるのだなと、そんな風に考えた。