東京は病院がたくさんあるが人口も多い。病院の待合室は、内科系ならばとくに、ほぼ間違いなく混雑している。
田舎の親と電話で話をしていた。以前に深刻な体調不良で大きな病院に入院したことがあったが、そのときと似た症状がつづいているので心配だと小規模医院の医師に訴えたところ、あきらかに「騒ぎすぎ」という態度をとられ、何か薬はないですかとの言葉に、文字通りに「鼻で笑う」対応を受けたそうである。通うのに便利な場所にある関係で、以前に通っていた別の医院からそこに変更した経緯があるのだが、通うのが不便でも、そのあまりの不愉快さに、以前の医院にもどしたそうだ。
医師にしてみれば、自分のところに通っていた人間が大きめの病院に入院し、症状はよくなったものの根本的な原因がわからないまま、不安をかかえながら自分の病院にもどってきたというのは、扱いづらいのかもしれない。そんないきさつのある患者が「ここが、こんな風で」と頻繁に訴えたら、おもしろくはないと思うものかもしれない。だが、その自分の感情の持っていき場として、もっとも安易な発想が「大きな病院で検査してもらって何でもないんだったら考えすぎなんじゃないの」と、相手をバカにすることとだとしたら、それは医師として、人間として、どうなのか。
——申し訳ないが、うちの母はボケてはいない。ぼけている相手であったとしても軽くあしらっていいわけではむろんないが、実際に、普通に話ができて、普通の年寄りである。心配性なところがあって何でもかんでも相談しようとする態度がうっとうしいのかもしれないが、世間一般に、年寄りは不安がって何でも口にする傾向がある。それが嫌ならば年寄りお断りの看板でもかけたらいかがかと思う。
そういう態度の医師(相手を見て態度を変える人間)は、どこかでボロを出して自滅するものである。願わくば自滅するならば周囲を巻きこまず、大きな医療事故や誤診をするよりも前に、ご自身のあり方について見直す機会を得てほしいものだ。
東京23区内であれば、混んでいる混んでいない、診察の曜日と自分の都合が合う合わないという程度の理由で候補が狭められるだけであって、気に入らない(気の合わない)医師のいる場所をよけながらの病院探しが困難というほどのことは、ないように思う。だが人口が減りつつある田舎の市に住むうちの母の場合はそれほどの選択肢はない。まったくもって気の毒である。そして田舎の人間関係においては、自分が「少ない選択肢のうちのひとり」であるということに甘えきった医師が、ひどい言動で患者や周囲を傷つけても、商売あがったりになることはないと、高をくくっている可能性もある。
むろん、悪い医師ばかりではない。だがこのご時世でどこも減りつつある地方都市の人口から考えるに、偉ぶる医師やストレスが溜まりまくって患者にあたる医師が出てくる確率は、もしや高くなってくるのではと、心配になる。
いずれにせよ、田舎の年寄り平均よりうちの母がうっとうしいのかどうかはともかくとして、神経質すぎて何でもすぐ思い悩む癖があることだけは事実なので、なんとかリラックスしてもらいたいものであるが、それができるならば、体調は悪化していないのだろうな。困ったものである。