台風など大きな自然災害があったとき、徳川家康が土地をよく見極める目を持って江戸を開発したからこそ現在の東京は恩恵を受けているのだと、漠然と考える。海路、陸路が利用できて本州各地への移動も比較的楽である。現在にいたるまで大規模な自然災害や洪水なども多くなく(大正の関東大震災を除いては)、ほんとうによいところだと、つい考える。
ここで、安易な発想に浸りたければ「やはり平将門の首塚が守ってくれているからだ」と、帝都物語のように考えてもいいだろう。ちなみにわたしは首塚に出かけたことがないが、一度くらいは写真を撮りに出かけたい。
だが、首塚がどうのの前に、もっと大切なのは、もともと自然のままの地形のほか、江戸(つづいて東京)には、かなりの人数が暮らしつづけて数百年。それらの人々が災害に遭わないように、あるいは不便を感じないように、せっせせっせと為政者や民衆が「住みやすい場所」にしてきたから、現在の東京があることだ。つまり「過去のみなさんの努力のたまもの」である。そしてそれを可能にしたのは、どちらが先だったかは一概に言えないが、人が多いところにかならずあるマネーの存在である。人が動く、ものが動く、カネが動く、そういうことだ。
これまでも、地震などで被害を受けたり、洪水や土砂崩れで陸路が分断された地方の市町村では、鉄道など交通機関の復旧が遅れる(運が悪ければそれを機に廃止の方向で話が進む)、断水、停電などライフラインの不便を頻繁に強いられることは、多かったはずだ。それらは、そこにいる人々にそれまで同様の暮らしをする権利はあって贅沢な願いではないにも関わらず、行政やサービス提供側の目線に立つと「その後の採算がとれないことを思うと、そもそも全面的な復旧をすべきなのかどうか」という方向にまで、話が進んでしまいかねない。
地方再生とか、地域の復興という言葉を発するのは簡単だが、人のたくさんいる場所(投資したものが簡単に目に見える形でもどってくる場所)にばかりカネをかけてきた、そしてこれからもかけていく考え方が抜けないのであれば、東京への一極集中はさらに進むし、地方に暮らしたい、もどりたいという人々の心をくじくことだろう。
洪水で屋内に泥土が流れこんだ民家の映像、寸断された道路、川なのか道なのか見分けがつかない場所など多くの映像を目にして、胸が痛んだ。都心でこうしたことが起こりにくいのは、治水や道路の設備などに大きく予算が採れるからだ、それを可能にしているのは東京の人間の数と経済なのだと、そういう思いを忘れてはいけないと考える。
都会に長年住んでいる人間ではあるが、一極集中にはもろさがあるし、地方自治体にぜひもっと力を付けていただいて、発展してもらいたいと、心の底から願っている。