年末の忙しないときにこんな話を書くのもなんだが、幼少時からよく知っている近所の子供たち(断じて幼なじみとは呼びたくない ^^;)で、気が合わなかった人が最低でもふたりいた。なんというか、わたしにとっては異質だった。だが田舎という土地柄と、学校ではクラス分けもなく、親たちはみんな知り合いで、嫌いでも「誰かとは」遊ばなければいけない事情があることを思えば、当然のことだが苦手な人もその「遊び相手」の中には含まれる。家が近所だったりするともう、その頻度が高くなるわけで、こうして何十年も経ってから文章を書いているだけで「よくあんな暮らしができたな」と、しみじみ思う。
わたしがとくに理解できないなと思ったことは、中学時代にいくつか起こった。どうも、先輩らからまとめて注意を受ける「呼び出し」が起こるようになるのがそのころであったように思うから、わたしが苦手としたその人たちは、さっそく自分たちから同級生や下級生を「呼び出し」しはじめたようだが…
たとえば「急な雨が降ったからって、Aちゃんはお父さんに頼んで、近所の友達を何人かだけ誘って、中学校に車で送ってもらったでしょう。やめてよね、みんな土砂降りの中を学校に来ているじゃない」…はぁ?
親がたまたま手が空いていて、車があって、娘とその友達だけでも学校に車で送っていったら、それは素晴らしいではないか。何が問題なのだろう。同い年でありながら、そういう「当然のことのように相手をとがめる」価値観の人が最低でも数名いることに驚きを隠せなかった。それからしばらくして気づいたのは、こういう人が大人になると、その後に話題になった「学校の運動会で、親が仕事で一緒にお弁当を食べられない人がいるとさみしがるから、子供たちは全員教室で食べて、親や家族は庭で食べるという方針の学校がある」という話になるのかという可能性だった。
こんな話をするため(聞かされるため)に集められた自分もばからしいなとは思ったが、かといって、もとから嫌いであるのにその場で喧嘩になるようなことは言わないのだから、言われている側の下級生側にしてみれば、周囲の黙っている人間はすべてその威張っている人たちと同じ考えを持っていて、自分たち(言われている側)は少数派だと思いこむことだろう。
また、あるとき、校庭の隅に置いておくと便利なある物体を、近所の人から寄贈してもらえることになった。その(わたしが苦手とする)人々は、みんなで早朝に取りに行こうという案を練って、当然みんな来るでしょという話を持ちかけてきた。だがどう考えても、それはふたりか、多くて3人…いや、さらに多く見ても4人もいれば運べるものだった。それに対し、声をかけられた人間は12人前後だったと思う。
言い出しっぺとその周囲のみで、4人はクリアしていた。だからわたしを含むその他は話を断り、受け取りに行かなかった。すると数日後にまた呼び出しである。「なんで来なかった」と。
逆に、なんで行かねばならないのか。早朝の狭い道を自転車12台以上で走り、実際には2〜3人で運べる物体の伴走をしろ、と? 開いた口がふさがらなかった。そのときの思いをどこまで口に出したかは覚えていない。わたしはいったんしゃべり出したら理屈っぽい人間だったが、話が噛み合わない相手に無駄な労力を使わなかったので、適当に終わりにしたのかもしれない。
わたしが自分の田舎に足を向けないのは、オセロゲームではあるまいし、周囲を囲ったら中身が自分の色になると思っているようなところがある人々が、わたしの身近だけでも存在したことを覚えているからだ。本来なら、色が何種類あっても、無理に囲もうとせず、色の違いがあることを認識した上で、協力して道を模索していくべきのところである。それが「協調」であり、先ほどオセロにたとえた、色を染めようとする行為は「同調」だ。これは大きく違うはずだが、区別をしない人もいる。それが怖い。
大きな災害があったとき、悲しいことがあったとき、そしてあるいは、大きな国策があったとき、「心をひとつに」とか「みんなでひとつに」という表現が使われることがある。それぞれの思いを胸に、それぞれが可能な方法で目的に寄与していきましょうというのならば「協調」、あるいは些細なことはともかく大筋は本部の号令に従いましょうと言われているのならば「同調」、意味合いは、かなり違う。