カメラのレンズに近い場所にある小物体(たとえばハエなど)に気づかず風景を撮影し「あぁっ、空中に巨大な生物がっ」という勘違いがあるのではないか…という説をどこかで読んだような気がするが、わたしの場合、遠くの大きな音なのか近くの小さな音なのかを、考えてしまうことがけっこうある。
体にきわめて近い場所で耳慣れない音がした場合、わたしの頭は最初のうち高確率で「遠くで大きな音がしているがなんだろう」と思うことにしているらしい。たとえば体調が悪くて食事の時に顎のどこかが鳴っているとき「ご近所で振動をともなう大きな音が、何の工事だろうか」と思うのは毎度のことだし、この数日に関しては自分に近い場所にあるルーターから断続的に小さな音が聞こえてくるのを「なぜこの数日、夜になると遠くで太鼓の音がするのか」と首をかしげていた。
昼間に耳慣れない音を連続して感じたとき、頭がそれに慣れようとしてしまうようだ。顎の音は最初に頭が「気にしない」という処理をしてしまうらしく、1日以上経過してから「どこの部屋にいても、どの時間帯であっても、振動をともなう音がするのはおかしい」と、やっと気づく。数ヶ月に1度あることなのに最初の1〜2日はいつもこれなので、つくづく学ばない人間である。
ルーターにしても、夜遅くには小さな音が響きやすくなるから気づくのであって、昼間は周囲の雑音にまぎれて気づかないのだから、数日してやっと「夜中にご近所で誰か太鼓を叩けば、ほんとうなら大騒ぎになるはずだから、せいぜい1日だろう。数日以上も聞こえているということは、室内のどこかだ」と、探しまわってやっとルーターをつきとめた。
次に何かを感じたとき、先に身近の可能性を考えることができるだろうか。やはり原因を遠くや外部に求めるだろうか。自分の行動パターンをこれからも見つめつづけていきたいと思う。
なお、この話を無理に昨今の世界情勢にからめて書くなら、テロをする人は外国からやってくるというこじつけは、いい加減にやめたほうがよい。テロというのは実際には「どこの国であれその国内にいる人が起こす可能性がある」ということを、肝に銘じておかないと、いつまでたっても、国や社会は同じ轍を踏むものだ。