心の準備、想定の範囲を超えたものに遭遇したとき

 人はサイコパスによる殺人事件が出てくると思っている映画に、途中から吸血鬼が出てきたら戸惑う。ホームドラマだと思って借りてきたDVDが地縛霊の話だったら、怒る人もいるかと思う。わたしは映像作品に関してたいていのものは許容できる人間だと思っているが、数日前に、まさかの「活字」で予想外の表現に出くわし、ページがめくれなくなった。

 このところよく書店にある、この本である。一般の人から募集した戦時体験だ。親世代から聞いた話を投稿した人もいるし、ご本人が以前に書いていたものをご家族が投稿した例もある。いずれにせよ、一般人による体験談であってフィクションではない。
 
(画像はAmazonから)

 つらすぎる内容も多いので、1日数ページずつ読んでいたのだが、全体的に「おそらく人が読むことを考えるとこれ以上は書けなかったに違いない。語るために必死で思い出したものの、ぎりぎりのところでおさえたのだろう。ほんとうはもっと悲惨な状態だったはずだ」と思わされる場面がいくつもあった。そのため、わたしはどこかで全体の傾向を類推し、その予想の範囲内にある文章を読むつもりになっていたのだろうと思う。

 だがあるページで、短いがとてつもなく生々しい表現に出会った。その人の文章が本の冒頭にあったならば心の準備ができていたかもしれないが、本の中盤にあった。
 そのページ以降、本をめくりたくなくなった。必死に何ページが読もうとしたが、読めない。無理をすることはないと考えて、数日前から読むのを休んでいる。

 そのページの表現は、ほかの書籍などでめぐり逢っていたならば「ふむふむ」と思えたはずのものだ。出会った場所が悪かった。もういったん自分の無防備な心にはいりこんでしまった以上、吐き気に近いものすら感じてしまい、それをふりはらえない。

 だが、いつかこれを、読み終えてみたいとは、思っている。

 先日わたしが認知症ケアのブログに掲載しようかと、義母の足(水虫と厚く膨らんだ爪のケア)を数日おきに撮影したものをGoogleフォトに入れてアルバム管理していたところ、家族がそれを「見たくない、グロい」と断言した。見ることすら拒否された。撮影していたわたし自身にとってもたしかに気持ちは悪いのだが(いまどきのデジカメというのは必要以上に解像度が高くて困る)、それは自分が義母の水虫と爪をケアして1か月強でどれだけ効果があったかの記録であり、資料価値はあると思っていたので、困惑した。

 たしかに、あの写真が、何も知らずに偶然に迷いこんできた読者の目に触れたら、その人にどれだけ衝撃を与えるかを思えば、載せないほうがよいのかという気もする。ブログ等では、見に来た人に細部を見えにくくする(本当に読みたい人だけが細部を読むように確認をとる)ことはできても、あらかじめ検索エンジンに内容の半分だけしか拾わせないような器用な方法は、わたしの知るかぎりは、ない。写真のサムネイルも(よほど工夫しないかぎりは)検索結果に出てしまうだろう。

 普段から、日本のテレビ報道では死体を画面に出さないように気を遣いすぎると思ってきた。事実は事実であり、子供の見ないような時間帯のニュースで流せばよいと。だが、自分がまさかの「活字で」こういう状態になったというのは、ある意味で衝撃的な発見である。そのせいで自分が人にどの程度まで気を遣えばいいのかも、わからなくなってきた。

 日本の文化や習慣としてあからさまな表現を避け、具体的な映像を見せてこなかったことにより、結果として日本に暮らすわたし個人の免疫が落ちてしまったのだろうか。

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