この数年、鼻濁音に敏感になった。自分もできるだけ使おうと思うようになったことがきかっけだ。日本語を録音するとき、鼻濁音のほうがきれいに聞こえるような気がして、意識しているうち、ある程度までは身についたと思う。
以前は鼻濁音ネイティブ(同居者)に、気になる単語をいちいち発音してもらって「ここは鼻濁音か?」と確認していたのだが、最近は「言いやすいように発音してみればそれでわかる」と言われていた意味がやっと体にしみこんできた。自分で口にしてみて言いやすい場所は鼻濁音でいいのだと、自信が持てるようになった。
小学生のころだったか、当時の大人気歌手「天地真理(あまちまり)」の歌声が、鼻濁音だということがわからず「なぜこの人の歌は他の人と違うのか」と考えこんでいた。当時は歌謡曲の歌声で歌手が発する鼻濁音と濁音の割合において、鼻濁音が減ってくる境目の時期だったのではないかと思う。だから鼻濁音が不思議に思えて耳に残っていたのかもしれない。その少しあとの時代から有名になった荒井由実(松任谷由実)は濁音、そして最近iTunesで聞いてみたが、若いころから歌唱力で知られた岩崎宏美も濁音だった。
わたしは高校時代の一時期に、演劇の発声練習をしていたことがある。ちょうどそのころもいまのように、鼻濁音と濁音が気になって、鼻濁音を使いたいと思っていた時期だったのだが、発声練習にあった「植木屋井戸替えお祭りだ」の「井戸替え」の「が」を、鼻濁音でやってみようかと思ったところ、たちまちのうちに先輩のひとりがわたしの背後にはりつき、別の先輩に小声で「発音のおかしい子がいる、どう注意する?」と、相談をしはじめたことがあった。それきり人前で練習をしてみるのをやめたが、いま考えても、井戸替えの「が」は、鼻濁音でいいと思っている。
さて、演劇の発声練習に出てきた「井戸替え」なのだが。
辞書によると、井戸の水をすっかり出して中を掃除することらしい。現在なら「井戸さらい」だろうか。植木屋さんがお祭り気分でするものだったのか、あるいはただの語呂なのか、いまごろ気になってきてしまった。