東日本大震災のとき、わたしの住んでいる東京23区は(足立区の一部など都内の東側を除いて)ほぼ輪番停電がなされることはなかった。だが北関東に住む実母は、ときどき電気が切られる、寒い寒いと言っていた。震災ののち、おそらく1週間くらいしたころだったか、近距離間での物流が復活したため、家に余っていた湯たんぽを送った。
あの日を境に、一度も電気炊飯器を使っていない。
あれはけっこう電力を食うのだ。それは経験上わかっていた。他県で輪番停電をしていて、福島は東京に電力を送るための原発を引き受けていたために大きな被害にあって、それなのに、東京で電気炊飯器など使っていられるかと。そう思った。
しばらく、家にあったフライパンでご飯を炊いた。その後、フライパンとしても鍋としても使える大きな平鍋(おそらくアイリスオーヤマ製だっただろうか?)が手にはいったので、しばらく使っていた。さらにその数年後、南部鉄器のご飯釜を買った。いまでは白いご飯は南部鉄器、炊き込みなど味付きのものはアイリスオーヤマ(だと思う)の鍋で作っている。
実は、洗濯機も脱水のみ使っていた。浴室に大きなバケツを入れて洗剤で衣類を洗い、すすいで、脱水だけ洗濯機まで移動したのだが、こちらはあまりに体力を消耗するため1年半で音(ね)を上げ、洗うのも脱水も洗濯機にまかせた。
今回の新型コロナ禍がひと区切りついたとき、人々は日常生活で何をもとどおりにし、何を捨てるのだろう。
わたしはもともと外出が少なく、人と会食もしない暮らしが長かったため、デパートの食品売り場にいまは行けないこと、数ヶ月に1回だが出かけていた隣駅のバルに行けないこと、ヘアカットに行けないことくらいしか、いまのところ気になることがない。
いや、待てよ、美術館だ。美術館のチケットがあったが閉館中だ。返金されるのだろうか。
まあ、いずれにせよ、わたしが上に書いたようなものは、せいぜい「人と人の距離をとればいつかまた利用できる分野」と言えそうだ。
ほかは、どうなるのだろうか。
少しずつ見守っていきたい。