今日は青空文庫で「家なき子」の翻訳(青空文庫にあった大正時代が初出のもの)を、後半を中心に読んだ。大昔に子供向けの抄訳版を読んだのだが、主人公の親が見つかってそれぞれの人が新しい人生を歩んだ数年後に、懐かしのみんな大集合という場面になったのだが…そこに衝撃があった。
出版社が「エピソードを省いて終盤まで描かれていないはずの人たちを、集合画面に登場させる」という暴挙に出たため、あんた誰という人が少なからずいたのである。それがずっと気になっていたのだ。
とりあえず、よかった。知人の代理として手伝いではいった坑道に水がはいったため、身動きがとれなくなるエピソードがあったのだ。炭坑夫のみなさんとはげましあって、主人公は生還した。
どれから(最後で実のおじさんとわかる)人物が盗賊一味と通じていた話も、抄訳版では省かれていたように思う。なぜおじさんが責められるのか、子供心にわからなかったからだ。前後はもちろん読み直して、省かれたのだろうと考えていた。
さて、古い翻訳だけあってツッコミどころもあるのだが(クレープらしき食べ物を「どら焼き」としてあるなど)、ちょっと残念と思ったのはboatだ。これは小舟とは限らない。小舟のことも指すが、けっこうな人数が乗れるような船でも、boatの場合はある。
主人公の実の母だったとラストでわかる貴婦人は、息子の療養のため、船でイギリスやフランス、ほかの国々もまわっている。訳者はそのboatと思われる単語(←わたしは日本語と英語しか比較していないが原文はフランス語)を、かなりの回数「小舟」と表現している。
使用人や操縦士らが乗っているほかに、甲板には少年が寝そべって景色を見られる療養のベッドが置ける大きさだ。船でよかったように感じるのだが、どうなのだろうか。ちなみに陸地にはいってから水路を進むには、陸から馬が二頭で引くようである。
日本語の小舟は、人力で漕ぎそうな印象がある。おそらく大正のころもそうだったのではないだろうか。
それにしても、100年も前の日本語と、そのころに流通していた本での英語版と、両方がたちまちに見くらべられるとは、インターネットの時代はすばらしい。