検索したところ1988年らしいのだが、栗原小巻と近藤正臣が出演するドラマ「晩餐会」というものがあった。話はアメリカ映画の名作「めぐり逢い」と一部が似ている。
めぐり逢いといえば、デボラ・カーの美しさ、りんとした姿勢と表情が、素晴らしい。そして最後はハッピー・エンドだ。
愛し合ったもののすぐには一緒になれない男女が、半年後の再会を誓った。だがその日に、女は事故に遭ってしまった。
足が不自由になってしまったことを相手が負担に思ってはいけないと、連絡も取らずにいたところ、数年後にふたりは偶然再会する。男は「なぜ来てくれなかったのか」と、女の家を訪れて、あずかっていた思い出の品を手渡ししようとするが、なにやら女の様子がおかしい。立ち上がろうとしない彼女に、自分の絵を買ってくれた車椅子の女性ではないかと気づき、部屋の奥まで行くと自分の作品がほかにもあった…。自分を見守って絵も買ってくれていたのかと、気づくという話。
いっぽう、ドラマ「晩餐会」は、部品は似ているのに、衝撃的な展開。考えようによっては、けっこうなホラー。
わたしは最初を見ていなかったので後半を見た記憶しかないのだが——どうやら栗原小巻と近藤正臣が演じる男女は、愛し合っていたものの、男にプライドの高いところがあったらしく、うまくいかなかった。経済的な意味も含めていくら献身的につくしても男の才能が開花しないと気づいた女は、男と別々の道を歩むことにした。
しばらくして、女は大きな事業を運営している男性と結婚。
男の方はパリで暮らしているうちに画家として芽が出てきたらしく、パトロンを見つけて日本に帰国。
そしてふたりは、上流の人間らが顔を合わせる晩餐会で顔を合わせることになる。
わたしが覚えているのは話の最後のほうなのだ。家を訪ねてきた男が、女にきついことを言った。緊迫した空気が流れたとき、そこに家の主である夫がやってきて「どこかで聞いたこのある名前だが、おまえ(妻)が絵を1枚くらい持っていたんだったか」と尋ねる。青ざめる男。そして女が、じっと男を見たまま夫に答える——「いいえ、あなた。5枚よ」
(記憶違いで3枚かもしれないが、とにかく奇数だった)
それは、男が描いた作品のすべてだったようだ。男は凍りついた視線のまま、身を震わせている。
ネットで検索をしたら最後に男は自殺すると書いていた人もいるようだが、わたしはそこまでは覚えていない。とにかく栗原小巻の台詞がすばらしい迫力だった。近藤正臣と一緒にわたしも気圧されていた。
こうして、話の要素としては近いパーツがそろっているのに、後者はかなり「怖い」。原作は森瑤子氏のエッセイ本に収録された短編だそうである。
せっかく影から助けたつもりになっているなら、最後の最後まで、ぜったいに言ってはいけない言葉だった。だがそこまでを言わなければならないほど、場の空気は張りつめていた。
もっとも、こうしたモチーフはけっこう古くからあるようで、ほかの映画やドラマなどフィクションにも、「なんと、実はあなたが支えてくれていたのか」的な話は、見られる。たとえばこちらの2011年映画 → アーティストも、かつて自分が助言して有名になった女優が、落ちぶれた自分を助けてくれていたと知り、かなり傷つくシーンがある。
(だがこの映画は意図して軽妙に仕上げたコメディであるため、最後はふたりの新境地となる新しい仕事が描かれる)
さて、最後に。
気のせいだろうか。男がこっそり女を支援している話は、それほど多くない。男が男を…ならばジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」、男が女を…は、日本人役のはずが主演がチャン・ツィイーになった「サユリ」だろうか。
ほかにもあったかもしれないが。やはり、なんとなく世間の傾向として、「内助の功」は女性がしっくりくるという思いがあるのかもしれない。