先日どこかで放送したものを録画しておいたのだが、数年前に仲間由紀恵主演で宮部みゆき原作の「楽園」がドラマ化されていたようだ。元はWOWOWらしいが、わたしは今回別の場所での再放送を録画した。
仲間由紀恵が演じるのは「模倣犯」から9年後のルポライター前畑滋子。現在は事件を追うのではなく軽めな記事を書いているという設定だったが、そんな彼女のもとに、ある母親がやってくる。自分の子供に超能力があるのではないか(子供が絵に描いたことがそのあとで現実になる)と相談にやってきたのだ。現在は大きな活躍もしていないのになぜ自分のところにと訝しむ滋子だったが、活字として仕上げることはできなかったものの、事件を追って連載していた彼女の文章に感銘を受けていたとわかる。
少年の描いた絵のうち母親がとくに気にしていたものは、そのころ話題になっていた「自宅の床下に娘を16年埋めていた両親」という事件を、暗示しているものと思われた。
さて、今回のこのブログは、ストーリーのあらすじは紹介しない。あくまで、この「超能力」の扱いだ。
原作者の宮部みゆきは、超能力ものが好きである。
わたしもかつてまとまった数の宮部作品を読んだため、念力で火をおこせる女性の話や、江戸を舞台にした霊感ある少女の話を記憶している。そうした「いかにも超能力が出てきそうな小説が原作」とわかっていてその映像化作品を見はじめたのなら、何の問題もなく、違和感も感じなかっただろう。だが今回の作品では、冒頭で「模倣犯の9年後か」とわかるため、なるほど今回も猟奇犯罪の話なのだろうと、頭がその方向でスタンバイしていた。そこで出しぬけに「超能力」というのだから、さては、超能力ではなくほかに原因があったという話に持っていくのかな、と。
だが少なくともこのドラマ版においては(わたしはこの作品を活字で読んでいないのでドラマ版に限定するが)、最初のうちこそ登場人物らが「えぇ、超能力〜っ!?」と奇異な反応をするものの、途中からそれは既定路線になってしまう。誰も「超能力だったかどうか」には踏みこまず、少年は身近にいた人の思いを絵に描いたことになっていて、ではそれは誰の思いだったか、という流れになるのだ。
ううむ…。
そこそこ現実社会に根ざした世界を描いていて、その中でどうしても超能力の話をするのならば、もう少し「それ以外に可能性はないのか」に時間を割かないと、見る側はかなり浮くし、世界が安っぽく見えてしまうものではないだろうか。
今回のドラマを見終えてみて、このドラマ版に関してはだが、別に超能力の設定でなくとも謎めいた話に膨らませることができたはずと感じた。子供が何らかの理由によって見知ったものを描いていたという話のほうが、かえって面白そうだ。
もちろん、宮部みゆきの原作では、超能力の設定でもじゅうぶんに周囲と溶けこめるほど、見事に調和している可能性はある…。あれだけ勢いのある作家なのだから、その方が可能性は高いかもしれない。