ちょっと抽象的な話になってしまうが、思い浮かんだこと。
もう10年くらい前だと思うが、いま暮らしているこの家で、ちょっとした事件があった。その話はいずれ、さらに年数が経ってからか、あるいはフィクションの形を借りるなどの手法で、書くことがあるかもしれない。だが、いまはまだそのときではない。
その件がもし「誰もが普通に思いつく経過」を素直にたどっていたら、わたしたちは現在とまったく違う暮らしをしていたはずだ。悪い方に——というのか、少なくとも言えるのは、経済的にも社会的にも、もう少し暗い日々を送っていた可能性が高い。
だが、いったい何の運がよかったというのか、神様がもしいるのなら50人(もとい50柱)くらいに並んでいただいて、毎日ぺこぺこお辞儀をしなければらないところだが、その件は大きな騒動に発展することなく、わたしたちもまた無事だった。そして、現在へと日々がつづいている。
気づけば8年もいた要介護高齢者は施設へ移動した。ほかにもいろいろなものが過去へ押し流されていく。よかったこと、つらかったこと、楽しかったこと、すべてがあっというまに、後ろのほうにある。
だがほんの少しの、運命のさじ加減で、平穏に暮らしていけるかどうかが決まってしまうのは、そのときの経験から肝に銘じていることだ。ほんのちょっとの、あっというまのことで、日々は変わる。
防げることかどうかはわからないが、注意を怠らないようにすれば、少なくとも悔いは残らない。
細々としたことに動じず、毎日を丁寧に過ごしていく。ぐしゃぐしゃと悩んだり、思いつめたりすることなく、ただ日々を生きる。それが大事だ。暮らしていけるだけで、儲けものなのだから。普通にしていられるだけで、幸せなのだから。