先ほど、なぜか「大昔の銀座線は、駅に着く前に1秒くらい車内が真っ暗になったよなぁ」と思い出した。記憶違いではなく、検索してみたらたしかにそうだったらしい。そういえば昔の地下鉄は車内の冷房もなかった。この三十年くらいで、いろいろなことが変わった。
北関東育ちのわたしは、友達と東京に遊びに来るようになったのが中学か高校くらいからで(同年代だけでなければその以前から来ていたが)、わたしたちにとって東武線で終点の浅草に降りることがすなわち「東京」だった。たいして計画も立てずに「来週あたり、東京に行こう」と誰かが言うと、それはとりあえず浅草に出るということを意味した。
つまり、浅草から伸びている地下鉄「銀座線」というのは、東京に到着してからどこかに出かけるための足であり、それがなかったらどこにも行けなかった。逆に言えば、銀座線だけ覚えていればとりあえずなんとかなった。
あるとき友達が「池袋のデパートでクロマニヨン人展というのをやるんだって」と聞きつけてきた。では出かけようかということになり、いつもの通り浅草に出た。だが池袋など、どこにあるのかも知らない。物怖じしない友達が、駅に到着するとほぼ同時に駅員さんを見つけ「池袋ってどうやって行くんですか」と尋ねた。
そのとき教えてもらったルートは、営団地下鉄(現在の東京メトロ)を使って大回りで移動するもので、おそらく駅員さんが、難しい乗り換えなどが無理そうな子供たちに、1回で済むようにしてくれたのかなと、思っている。営団地下鉄を使わせたいという思いも多少はあったかもしれないが、それ以上に、乗り換え1回というのは子供にとって安心で気楽だからだ。
そのルートとは、浅草から銀座まで銀座線で、そこから丸ノ内線で池袋、というものだったような気がするが、その記憶がたしかなら、ほかより15分以上も時間がかかりそうだ。だがわたしたちは、何の疑問も持たずにその方法で池袋に移動した。
東京暮らしのほうがだいぶ長くなったいま、いまの自分なら選ばないルートだとは、たしかに思う。だが選択肢を与えることが必ずしもいいわけではないとも、同時に考える。
たとえば「浅草から銀座線で上野に行ったら国鉄(現在のJR)に乗り換えて池袋までが短時間ですけれど会社が違うからお金が多めにかかりますよ、営団地下鉄だけなら値段は安いけれど時間がかかりますよ」と言われるより、この方法なら行けますと、ひとつ教えてみて、相手がそれ以上の質問をしないのであれば、それでいいという判断が、なされる場合もあると。
2020年現在、齢を重ねてきたわたしはつい、人にものを聞かれたときに選択肢をあれこれ提示してしまうことがある。消費者またはサービスを受ける側としての自分は「最初にいってくれたら、ぜんぶを比較できたのに」と思うことが多いため、何か聞いてきた人にも、前もっていろいろ伝えたくなるのだ。
だが聞いてきた相手は、けっきょく「あなたは、どれがおすすめなんですか」と、わたしの意見を聞いてくることも。そんなときには、可能性を最初から列挙するより、おすすめを言ってしまうのもいいのかなと、あとあとまで考えてしまう。
つい最近ネット上で、初心者なのだろうとは思うがレベルがいまひとつわからない(どの程度までコンピュータがわかっているのかがつかめない)人をお見かけし、まずは少しだけ助言してみたのだが、それでも相手には難しかったのかもしれないと気づいた。萎縮させてしまわないよう、言葉を選んだり、できるだけ短い返事をするように心がけてみたが、ひさびさに緊張する。
ネット上で人と知り合うのは貴重な体験だし、できるだけ機会を大切にしたいと思う。
自分も昔はいろいろな人にお世話になったのだから、これもご恩返しだ。