静謐という表現が似合う日がある

 東京23区西部に暮らして長いが、現在の借家に移り住んでしばらくは、わたしたち本人よりも周囲の人たちから「なんて静かな場所なんですか」と言われたりもした。だが東京オリンピック開催が決まる少し前から、住宅エコポイントなるものの影響と思われるが、周辺が改築やリフォームだらけになり、その傾向はオリンピック終了後ですっかり景気が悪くなったはずの現在もつづいている。
 家から近いか遠いかはともかくとして、何らかの工事の音は、すっかり日常になってしまった。

 もっとも、日曜日だけは業者も休むようである。内装などの静かな作業ならばもしややっているのかもしれないが、工具を使ったような作業は聞こえてこない。もちろん重機の音もしない。

 以前はこんなに静かだったんだなと、気づく。

 また、平日でもときおり数時間ほど「この世界から人がいなくなったのでは」と思うほどに静かな時間がやってくる。通学路が近いため、登下校時間帯はにぎやかであるし、配達業者の車やバイクの音もたまに響くが、それにしてもご近所がいっさい静かで、人がいないかのような錯覚に陥りそうになるのだ。自分だけがここにいて、外に出たら誰もいない——まるで怪奇もののストーリーだが、たまにそれを思う。
 実際には確認のためドアを開けないし、世界が賑やかでも静かでも、わたしは自分だけの世界にいるのだから、考えても仕方がない。

 周辺は変わっていくし、人も移り変わる。自分はもう成長しないかもしれないが、それは人づきあいをあまりしない人間として必然のことであり、どうこう考えても意味がない。

 ネットで近況を拝見する方々は、ご自身らが感じているであろう以上に成長し、たくましく「大人」になっている。かっこいいな、たのもしいなと、思う。

 そんなかっこよい方々の近くにいて、成長や発展を見ているだけで幸せだと思えばよいのだろうが——。

投稿者: mikimaru

2021年現在「バウムの書」、「お菓子屋さん応援サイトmikimarche」などのサイト運営に、力を入れています。 かつててのひら怪談というシリーズに参加していたアマチュア物書き、いちおう製菓衛生師の資格を持っています。 バウムクーヘン関連や、昔からの知人には、「ちぇり」もしくは 「ちぇり/mikimaru」を名乗っています。