先日から書いているFacebookのこと。
あれだけ大手のサービス(さくらインターネットが運営している「さくらのブログ」)であっても、何かをきっかけにFacebook上では一律でスパム認定されるようなことがあるのだから、自分のような弱小の個人ユーザも「いつ何らかの誤解でアカウントを停止させられるか」ということを、事前に考えておかねばとの不安が生じてきた。
まずはSNSログインだ。FacebookやTwitterなどのログインを利用してばかりで、独自にログイン方法を設定していないものがないかどうか。
有料サービスではとくにだが、以前からSNS経由のほかにもメールアドレスでログインできるように設定を心がけてきたつもりだ。だが今回あらためて「メールアドレス経由でのログイン設定を忘れているものはないか」と、確認してみた。すぐに思い出したGrammarlyとNYTimesに関しては、ねんのために再設定した。ほかのサービスでも明日以降に思いだした順から設定確認をしていかねば。
何年前の何月何日ころにこんなことがなかったか…というときFacebookの過去投稿を検索する癖がついてしまっているが、大事なことや周期的なことは、別のサービスや手元の手帖、あるいはパソコンにも書いておくように心がけたい。
ただ、思い出したいこと、忘れたくないと自分が考えるものごとというのは、えてして「偶然に目の前に現れて、記録が残っていてよかったと感じるもの」であり、自分が大事と思って記録していたメモが、つねにありがたいわけではない。
雑多なそれらの記憶や記録については、手元に置いておくことは不可能だ。仮にFacebookなりどこかのサービスで「自分に関する過去データをぜんぶダウンロード」というサービスが受けられるにせよ、そしてそのサービスを使って何ギガもダウンロードしたにせよ、自分からせっせと読むわけではないと思われる。偶然に思い出すものや、ネット上にまだあったんだと思うようなものにこそ、人は懐かしさとありがたさを覚えるのだろう。