ぼちぼち日付が変わるというころになってようやく気づいたのだが(しょっちゅう画面を立ち上げているので半日くらいキャッシュが残っていたのだろうか)、Twitterの犬がふたたび鳥になっていた。
柴犬の初日は「今日だけだろう、ずっとやるとは思えない」と考えたのだが、次の日も柴犬だったので不安が増した。永久的にこの冗談をごり押しするのかと、もはや覚悟を決めねばと思っていたのだ。
覚悟というのは、脱Twitterである。すでにあちこちにアカウントは取っているし、不愉快な思いをしながらTwitterにしがみつくよりは出てしまわねばと考えていた。ひとりふたりでも出る人が増えれば、Twitterの影響力がさらに低下する。そうすれば初めてあの会社(というか現CEO)が反省または退陣するのだろう、と。
鳥がさえずるという言葉に由来したサービス名であり社名のTwitterである。それを合理的な理由もなく犬に変えるのは金持ちのわがままであり暴力であろうとわたしは思う。そしてそんなことがあっても場に残るのは、そういう考えの人物に賛意を示すことにほかならない。
嫌な金持ちはこの数年でたくさん見てきた。そろそろ、すがすがしくて粋な金持ちにご登場願いたい。