1週間くらい前だったか、ある掲示板を見ていた。日本語ネイティブではない人が、おそらく翻訳ソフトの助けを借りた日本語の説明文書を見せつつ、「これは適当でしょうか」と参加者らに尋ねていた。
適切な内容に仕上がっていますかと尋ねたかったのは、ひと呼吸をおいて考えてみてからわかった。これって適当にやっちゃってる感じでしょうか(直したほうがいいでしょうか)ではないのだ。適切にできていますかという、丁寧な問いだった。
だがこれは、辞書などを懸命に見ながら日本語を覚えている人には追いついてこられない、肌感覚で感じるニュアンスだ。相手の言わんとするところはわかるのだから、おたがいに情報交換可能である。
思えばいつから日本語の「適当」は、丁寧ではない意味を含むようになったのだろう。適当のどちらの文字にもぞんざいや手抜きの意味はないのに、いつしか「やっつけ仕事」の手前のような、おざなりな意味を含むようになってきた。
やはり、いくら辞書ではよい意味(本来の意味)で書かれていても、ネイティブの感覚としては「適切」または少しへりくだって「妥当な範囲でしょうか」というのが望ましいように思う。もしそこまでを尋ねてくる日本語学習者がいたら、わたしはそう答えると思う。