最近はそういう話をしなくなっていたのだが、田舎の母は毎年「高尾山さまのお札」なるものを入手して、わたしが東京に出てからもよくわたしの分まで渡してくれた。
それってあの高尾山(京王線などで行く)のことだろうかと「何がきっかけで信じていたの」と電話のついでに聞いてみたことがあるが、この数年はお札を新しくできていないと、悲しそうに言う。体の自由がもっとあったころは、誰かに頼むか郵送を頼んでいたのかは不明だが、毎年でないにせよ新しくしていたのだという。
自分が不信心なのに代理でそういうことをしていいのかはわからないが、とりあえずインターネットで「高尾山」と入力しして場所を見ると…うっ、電車を乗り換えてケーブルカーに乗ったあとに、20分歩く!? すごいぞ。母は若い時分には誰かと連れだって宿泊をしてこともあるのだそうだ。おそらく父方の祖母か、父方の誰かが信じていたらしく、父が若いころに病気をした際に高尾山さまに祈ったという話をそういえば子供のころに聞いていた。
真剣な人が相手であるのに旅行感覚で訪れてお守りを買っていいものなのかどうかわからないが——(母の言うような「お札」なるものはいきなり買えるのかわからないが、お守りは売られているらしい)、もし母が望むのなら、高齢で体調もよくないので、出かけてみてもいいかもしれないと思っている。信心がなくても、訪れて怒られることはないだろう。