以前にある商業施設のエスカレータで、のぼり方向から(リュックの重さでバランスを崩し?)うしろに倒れて頭部が下になった高齢女性の話を書いたが、あのとき驚いたのが助けるため駆け寄った人に「大丈夫です」と答えたことだった。とっさに口から出てしまう事例は知っているが、あれほどどう見ても大丈夫ではない場合にも出てしまうというのは、正直驚いた。
ところが、つい先日。
近所の公園近くで、周辺の路上にある落ち葉を集め、ゴミと一緒に拾っていた女性がいた。わたしはその近くを通過中だったのだが、その女性とわたしたちのあいだの路上に、なぜか公園の石垣から道に向けて元気よく飛び出してきた男の子が、文字通り「落ちて」きた。段差を見誤ったのか着地に失敗し、すぐ立ち上がろうとしたものの、かなり痛そうである。
その女性が何度も「大丈夫なの、怪我していないの」と尋ねたが、大丈夫っすの一点張り。近くで友達らしき男の子たちの声がしていて、その子供も話が大きくならないうちに友達と合流したがっているのはその視線でわかったのだが、どうも(当たり前だが)痛くてすぐには動けないらしい。だが女性はその場でゴミ拾いをしていた立場なので移動する理由はなく、目の前に少年がいる以上は、心配する視線を送るしかない。そして少年としても「大丈夫と答えたのだから、ほっといてくれないかなぁ」的な顔つきで、目を泳がせている。
わたしたちの出る幕はなかったのでそのまま去ったが、やせ我慢をして友達と遊んでから帰宅し、その後に実は怪我をしていたとわかったら話がややこしくなるだろうなと、ちょっと考えてしまった。
怪我をしていたら親に怒られるとか、あるいは友達から笑われるとでも思うのか、理由はさまざまかもしれないが——大丈夫でないかもしれないときは、遠慮なく騒いでもいいんだぞと、つくづくそう思う。