語学サービスとしての質や内容ではなく、Duolingoの仕組みで疑問がある。
わたしはダイヤモンドリーグというところに1年以上いるのだが、そこは1ヶ月に1回くらい、10位以内にはいったらトーナメントに出場できるというお祭りのようなものがある(スマホでやっている場合のみでパソコンは無関係)。その10位以内にはいると、そのあとの3週間を少人数(15人)中で10位にランクインしつづければ、トーナメントに勝ったということで、おめでとうと言ってもらえる——とくにすごい賞品が出るわけではなく、ただのお祭りである。
トーナメントの途中で脱落しても普通のダイヤモンドリーグに移動するだけで、次にトーナメントに呼ばれるまではそこにいていいのだから、お祭りに参加してもしなくてもいいのだろう。だがわたしは毎回必ずトーナメントに進出し、ぜったいに落ちないように努力している。
ところが、何が疑問かというと。
トーナメントに呼ばれる直前は、周囲がしゃかりきになって10位以内を目指すので、おそらくその場にいる30人には、その表示が見えている(10位以内になればトーナメントという共通した認識がある)と思われるのだ。たとえば今日わたしは目から火花が出るような思い、体を壊すのではというほどの勢いで3800点ほど積み上げたのだが、周囲も1週間のトータルで12000以上を積んでいる人でなければランクインできなかったため、普段の比ではなかった。ところがそこをくぐり抜けて到着する、いわば精鋭のための15人部屋に、とてつもなく経験値が少ない人が、一緒にはいっていることがあるのだ。一度や二度ではなく、これまで何度も見た。
1日にわずかしか問題を解かない人は、そもそもダイヤモンドリーグにいることすらけっこう難しいはず。ましてトーナメントになどぜったいに出られない。どうしてそういう人と一緒になるのだろうか。
もしや、こちらが見えている顔ぶれと、相手から見えている顔ぶれは、異なるということなのかもしれない。
1日150点ほどを学ぶ人が、1日に3000点以上を積んで廃人になりかけている人間(←そこまでやるなよと自分でも思う)に囲まれていたら、落ちつかないはずだ。その人にとってもは普通のリーグで、トーナメントではないのかもしれない。Duolingo側で適度にメンバー混ぜて表示しているということなのだろうと、想像している。