数年前までは、黙祷の時間が近づいたり、式典の言葉を聞いたりしていると心が乱れてしまっていたのだが、最近は政府による式典がなくなったことやいろいろな変化により(自分にとっての風化でないと信じたいが)、気持ちが落ちつかなくなるほどではなくなった。
13年といえば、義父が亡くなって13年である。岩手県沿岸で生涯の大半を過ごし、老後は少しずつ内陸の盛岡に拠点を移していた時期の大災害だった。幸いなことに盛岡滞在時の出来事だったが、停電など生活の不便や、連日の津波映像報道などにより、気力をなくしてしまったのではないかと想像している。夏に亡くなるまでには、かろうじて日々を送っているといった状況だった。
東日本大震災をきっかけに、社会の何かが引きちぎられてもとにもどらないといった漠然とした気持ちと、より目が覚めて「きちんと生きようと思うようになった」という気持ちと、いろいろな思いが混じる。そしてこの4年間のコロナ騒動でも、同じように「消えてしまった何か」と、「だが気づいた何か」があると感じている。そのたびに、自分や自分の住む社会は、何かを学んで来たはずだと信じたい。
まだこのブログどころか親しい周囲にすら話していないいくつかの出来事が、この数年であった。いつかは書くこともあるかもしれないが、まだわからない。ただ、自分は明日もこれからも何かを目撃し、経験し、生きていくのだということだけは、肝に銘じておきたい。