子供のころに「1万円と5千円は聖徳太子、千円は伊藤博文」と覚えていた人間としては「奈良時代くらいの古い人(実在したかどうかはともかく)が札になる」のだという刷り込みがあるようだ。何やら今度の一万円札の人は、いまでも丸の内あたりで企業の重役をしていそうな雰囲気があり、あまり一万円札という気がしない。
もっとも、わたしの幼少時の一万円といったらかなりの価値があったはずであり、無理もないことなのかもしれない。もしや、時代とともに一万円札も庶民的になっていくものなのか。
それにしても、いまの若い世代には夏目漱石の千円札を見て偽札だと思う人がいるそうだ。わたしは数年前に、義父母が後生大事に数枚以上も貯めていた伊藤博文の千円札を、どうしたらいいのかわらかずに、銀行に持っていって預金してもらったことがあるが、おそらく店員に驚かれるので店では使えないという予感あったのだ。夏目漱石で騒がれるのであれば、ほんとうに銀行に持っていってよかった。窓口では「交換はできません、預金になりますがよろしいですか」と言われた。もちろんそれでよかった。
自動販売機などの入れ替えもたいへんだが、これからキャッシュレスの時代でキャッシュレスのレジを導入して苦労する小売店には、自販機の交換まで資金が回らないことだろう。自販機業界がここぞとばかりにキャッシュレスに対応した場合、新しいデザインの札に合わせたキャッシュ対応の自販機は、高価になってしまうことも考えられる。
さて、今後はどうなるのだろうか。