一時期は毎日欠かさず読んでいた、Facebookの「○○年前のこの日」の表示。このところFacebookへの投稿も減り、見忘れる日も増えていたのだが、たまたまクリックしてみた。
スクロールをしていくと、数年前の8月8日に、子供のころたいへんお世話になった親戚の人が亡くなったと書いてあった。心当たりがあるのはひとりだったが、8月だったかどうかも覚えていないほどで、世話になった人間として情けないレベルである。
そんな表示を見たのが昼間だった。夕方に田舎の家に電話をしたとき、その話は最初は忘れていた。
母がなぜか元気がなく、何を話していても張り合いがない。聞けば同居家族からも元気がないと言われてあれこれ話しかけられたのだという。元気を出すように明るい話題を振ろうとしても、かたくななまでに黙り込んでいるので、逆効果かもしれないが「何年か前の8月に亡くなったのって、○○さんだったっけ」と、話をしてみた。
逆効果どころか、母はその話でがぜん元気になった。毎年必ずその日には、その人のご家族に電話をしていたのに、今年は忘れてしまった、どうしようと騒ぐ。そのため「今日はもう夜だから、今日は元気にして、明日になったら電話をしてみれば」と言うと、まだまだ人に電話をしても問題ない時間だから、いまから電話をする、じゃあねと、話がそこで急に終わってしまった。
人が死んだ話をしては元気が出ないだろうと思ったが、用事ができたということが、どれほどあのくらいの年齢層には大事なことなのかと、今日はしみじみ実感してしまった。
わたしがFacebookの「過去のこの日」表示を数日ぶりに見たことと、母が元気がなかったことが重ならなければ、わたしは母にその話をしなかった。そして母は親戚の命日を思い出すことなく、数日遅れてから大騒ぎしていたに違いない。偶然とはいえ、思い出せるきっかけになってよかった。