14年が経過した。14時46分に黙祷。
あれから社会はどれほど進歩したのだろうか。
いまだに災害時には学校や公共施設に、簡単な仕切りで人を住まわせる。災害が滅多にない国が手が回らずに仕方なくという話ではなく、災害が多い国である日本。
津波を予見できたはずだと東電幹部を訴えれば、国と同様に無罪。誰も責任を取らない国で、踏みにじられた現地の方々の思いはいかほどのものか。
それにしても原子力発電、まだやるのかと。それを考えただけでもこの国の将来が心配だ。いまのところ廃棄物をどう処理するかも決まっていない(現状で知恵を出し合っても「半減期を待つしかない」だけの危険な物体を出すのみ)というのに、まだやるのかと。
コロナで1年送れて開催が2021年になった東京五輪も、別に東北の復興と関係がなかった。25年(あ、今年か)におこなわれる大阪万博は、国内の林業を発展させるためと大きな木製のリングを建造しておきながら大部分がフィンランドの木材だそうだ。お祭りをして何か潤いたいと政治家は思うのかもしれないが、実際にはそうした予算の分だけ子供たちが安心して学校生活が送れたり、給食だけでなく普段の食事も食べられたり、学費や生活費の心配をせずとも進学ができるほうがよほどいい。
少子化がどうのとさんざん政治家は口にするが、それは子供たちによい未来を約束したいのではなく、自分たちの怠慢で変えてこなかった「下の世代が上の世代を支える」という社会プランが現状に一致していないから子供が増えてほしい…というだけに聞こえる。
もっとよい社会になれるはずなのに、この数年だけを考えても人々の生活は後退している。
明日を生きるこれからの世代を守るためにも、自分たちがふり返ったとき恥ずかしくないように、もう少し政治に関心を持ったり発言をする人が増えるべきだ。