書店がなくなった地域に定期的に本を持って販売に向かう人の話を読んだ。子供たちがうれしそうに集まってくるというところを読んで、ふと思った。
数十年前の田舎では、学校の入り口などあいたスペースに、無許可だった可能性も否めないが綿飴やら焼きそばやらを売る屋台が来ていたことがあった。今日はそういう人が来ているらしいと噂を聞くと、子供同士で数十円(当時は綿飴も焼きそばも100円しなかった)を手に出かけていった。
もしこの2025年のご時世に、公立学校の入り口脇のわずかな空きスペースに屋台を出している人がいて、子供たちがうれしそうに群がって商品を買っているのを見かけたら、大人は顔をしかめるかもしれない。誰だかわからない人から買っちゃいけない、あるいは衛生的に問題があるかもしれない、と、子供たちに注意する。現在の子供は、親が実際に脇にでもいるならともかく、そんなことで好奇心を抑えることはないだろう。だが大人というのは、得てして自分に馴染みのないものを「とりあえずやめさせておく」傾向がある。
自身が本の活字に親しまず、ネット上で画面の文字を追って時間を過ごした人々が親世代になったとき、活字というものに魅力を感じて移動本屋に駆け寄る子供たちを理解せず、とりあえず「文字はネットで読めるから」と牽制するようなことが、もしやあるかもしれないなと、漠然と感じた。どこの誰だかわからない人が行商にくるより、ネットで有名な人の書いたまとめサイトを読みなさい、と。そのほうがよほど怪しい可能性もあるのは言うまでもないが。
移動本屋で綿飴や焼きそばを思い出すのはわれながら発想が飛んでいるとは思うが、あきらかに法的に問題がある販売方法または販売者ではない以上、子供たちにはがんばって買い物をしてもらいたい。好奇心はずっと持っていてもらいたい。