田舎の親と電話で話していた。もはや自分で買い物に行ける状態ではないのだが、頭はぼけていないので、テレビでニュースを見ていて時事問題にも多少明るく、コメ問題については「大臣が小泉(むすこ)に変わって、コメが回るようになってよかった」と言う。
すかさずわたしが「親の時もそうだったけど、郵政民営化で郵政を壊しすぎていま郵便サービスがたがただし、郵便局は減ってる。一時的なことで評価はできない。コメの問題も自民党が減反に補助金を出してこういうときの対策がなってないまま数十年が経った積み重ねだから、いまこの瞬間に小泉(むすこ)がよいように感じても、評価しすぎない方がいいから」と、笑いながらまくし立てた。親もわたしのこういう態度に慣れているので、そうかいそうかいといいながら「前の大臣(コメを買ったことがない人)がひどかったし、石ころがはいっていたとか、失礼な人だった。それにくらべたらいいよ」と、まだ褒めようとする。そこですかさず「褒めるのは半分くらいにしておけば」と、言っておいた。苦笑しつつ通話は終了。(わたしにしてみれば笑ってもらう話ではないが、あのくらいの年代の人はお互いに言いたいことを言ったら和やかに通話終了というのがパターンなので、いつもこんな感じである)
田舎では選挙の投票でも自民党以外に選択肢がないことが多く、どうしても「自民の誰それさんにくらべたらこっちの自民が」、という発想になってしまうのだ。ほかがあるような気がしない、想像がしにくいのだろう。
父が亡くなって約30年が経過し、それまではあまり世の中の話題について多くを語らなかった母がようやく自分の意見を言うようになったわけだが(←父が母に発言させなかったわけではなく、昔の人々は家で夫が生きているうちは意見を夫がしゃべるという発想だったのだろうと推測)、もはや健康の問題により自力で外出も難しいため、投票は棄権しているはず。もったいないことである。いまのように自分の意見を言えるようになったときこそ、投票してもらいたかった。