参院選の期日前投票に出かけてきた。
少子化とウナギの話を一緒に考えてみる。
少子化はわたしが学生のころから懸念されていて、そのころからずっと、とくにたいした対策がなされていない。ウナギの絶滅もわたしはすでに20年以上前にネットで怒りの書評を(絶滅しそうという本を読んだので)書いた気がしたが、そのころはまだコンビニレベルではウナギのおにぎりなどは売られていなかったと思う。その後、絶滅危機の声がさらに高くなってきてからコンビニに登場した。絶滅前には養殖の実現が追いつくと考えて消費を煽ってきたのかどうか、そのあたりはわからないが、カネ中心の世の中にほとほと嫌気がさしている。
絶滅を遅らせるために、1年交替で消費を抑えませんかとか、たとえそんなお願いを守る人がいなかったとしても、訴える姿勢くらいあったら、もう少し世の中の受け止め方は違ったはずだ。ウナギを取り巻く将来は、姿勢を見せるだけでも多少は明るかったのではないだろうか。だが政府は民間のビジネスと庶民の消費を制限することには後ろ向きで、そのうち養殖が可能になることだけにすがってきた気がする。その結果、人はますます「絶滅するかも」とウナギを食べまくった。
わたしはもう、何年か前から「買えるときに買って食べよう」という気持ちに方針を転換した。あとの世代のみなさん、食べるウナギがなくなったらごめんなさいの気分である。だがわたしのせいではない。知ったことではない。
少子化も、何もしてこなかった。わたしは日本国内で日本国籍の人が子供を増やすかどうかではなく、全世界レベルで人口は爆発するのだから、いろいろな人たちが日本で子供を産んで育てる将来もありだと思っていたが、昨今の極端かつ人目を引く主張は外国人排斥で、日本人のみの暮らしと社会がよくて、それでいて女性らにつらいままだった過去からの方針を変えるわけでもない(つまり日本国籍の人の子供が増えるわけがない)のだから、いったいそうした威勢のいい人たちの意見は、どこに着地できるというのだろう。
いわゆる「日本人」の少子化が心配なら、日本人の子育て世代の女性たちが暮らしやすい社会に、そして子供が安心して育てられるようにその環境を支援することに注力する以外にない。もしくは、日本国籍の人の人口ではなく社会システムを守るために(下の年齢層が上の年齢層を支えるという以前からの発想を変えないために)子供たちがいなければならないと考えるならば、どこの国の人だろうと住んでくれるというのならば住んでいただいて、一緒に暮らしていけばいいと思う。日本人だけで子供が増えて外国人は要らないというのは、何を言っているのか理解に苦しむしまったく現実的ではない。