石破やめるなデモというのがあったそうだ。気持ちはわかる。ただ、ほんとうに「ああ、国民みんなが、疲れてるんだな」と考えざるを得ない。ほんとうならば「内閣総辞職で衆院選をやり、自民にもっともっと負けてもらいたいと考える」ことこそが、普通に考えて王道ではないだろうか。
だが、選挙で自民が生き残った場合に高市氏が代表になるのは困る、参政党がもっと票を取ったあげくに自民にくっついて大連立なんかやったら目も当てられないとか、そのあたりのことをみなさん憂慮していらっしゃるのだろう。つまり、「現状から見て、よりひどくならない方」という発想しかできないくらい、有権者も世間も疲れているのだ。これ以上ひどくなりたくない、と。怒りも相手に通じないほどの無力感、そして何事にも疲れ果てた悲哀感が、そこにある。
いつから自民はあそこまで変な党になり、野党もまたこれほど薄っぺらくなったのだろう。
好機を逃さないという意味では、現在の石破総理の誕生前に、野党で団結して首班指名で「野田」と書いて、自民を警戒させるくらいの技が使えたはずなのだ。実際に野田氏が首相になることは賛成する人数の合計を考えて難しかっただろうけれども、その後の政治にもっと緊張感が出たはず。(別に野田氏に総理をやってもらいたかったわけではないが、野党の多くが何か一緒に画策できるという実例を示すことに、かならずや意味があったはずという認識である)
国の代表として出かけた先でMAGAハットをかぶったり自らを格下の格下と言ったり、25%の税金をふっかけられて15%にしてもらったと筋違いのどや顔をしたあげくに、日本に不利な条件などを飲んできたというのだから、井伊直弼の時代かよと、幕末の不平等条約を思い出さざるを得ない。
わたしもまた疲れている。おそらく「石破やめるな」デモがすぐ近所でおこなわれたにせよ出かけなかったと断言できるほど、疲れている。