子供のころ、8月のいまくらいのシーズンが苦手だった。テレビで戦争の話題を多く取扱い、その細かい意味はわからないがやたらと怖くて。とくに、小学校低学年のころだったか、夏に読んだ「八月がくるたびに」という本(挿絵がとにかく怖かった)は、原爆が投下された街を子供が歩きまわる描写が出てきた。
どんなに怖くても、気味が悪い挿絵でも、何度もページをめくった気がする。好奇心もあったかもしれない。だがどちらかといえば、周囲の大人たち(親も含めて)にとって、子供が夏に読まねばならないものと考えているような、微妙な雰囲気を子供心に感じとっていたのかもしれない。何度も読んで、どうにか理解したのは「いまはそんなことがないけれど、そのころはひどいことが起こったんだ」と、いうことのみ。とてもとてもひどいことが、と。
だが「それはほんとうに、そのころだけの話だったのか?」と気づくのは、ずっとあとになってからだった。世界のどこかでいつも戦争がある。非人道的な行為が国家や民族間でつづいている。
今日、テレビの番組(テレビ朝日:報道発ドキュメンタリー宣言)で、広島の少女像(佐々木禎子さんをモデルとした平和の像)を解説していた。
投下から10年して白血病となった禎子さんは家に帰れる日を夢見て、千羽鶴を折りながら祈ったという。平和と千羽鶴、少女の像とそのモデル…。恥ずかしながら、この年になっても断片的なことしか知らずにいた。日本からアメリカに、原爆による火傷治療で女性たちが渡ったことも知識としては知っていたが、この番組を見るまで、その人たちが何をどう思って渡米したかなどについて、考えたことはなかった。(番組によれば「原爆を落とした国に治療してもらいに出かけるのか」といった風当たりもあったそうだ)
子供のころには怖かっただけの8月が、いろいろな知識や経験を結びつけていくことで、別の8月になっていくのを実感している。
これから育っていく子供たちにも、どんなに怖がられようと(あるいは疎ましがられようと)、やはり戦争の話はしつづけなければいけないし、大人ももっともっと学んでいかねばいけないと思う。
最後に、上述の「八月がくるたびに」だが、検索してみて驚いた。最近の本ではずいぶんと表紙がマイルドになっている。あれでは同じ本という気がしない。昔のものはとことん怖かった。怖がらせればいいというものではないかもしれないが。。。これも時代か。