このところ、思い出す頻度が半端ではなく、以前なら「たまに」だったのだが、最近は「しょっちゅう」になったので、これは懺悔というわけではないが人前でさらしておいたほうがいいのだろうかと、書いてみることにした。
正確には、30年以上前のことで、わたしはおそらく小中学生のどちらかだったと思う。
ある晩、夕食のあとで、家族みんなが思い思いにテレビを見たり、何かの作業(たとえば雑誌を読むなど?)をしていた。状態としては「何となく近くにいるけれど何かを一緒にしているわけではない」といったところか。それは、わたしの育った家では、よくあることだった。
わたしは、何を思ったか、ふと両親に言った。
「こんな風に、何となくぼーっと時間を過ごすばかりで、いいの?」と。意味としては、何か趣味に興じたり、大人としてさらに上に向かった努力目標とかはないのかということだ。かなりこまっしゃくれたガキ発言だったと思う。
そんなわたしの発言に、両親は怒るわけでも悲しむわけでもなく、ただ「おまえの話はちゃんと聞いているよ」といった表情を浮かべただけで、テレビを見ていた。わたしはその段階でも自分の言葉を反省するどころか「なんで答えられないんだろう」と、考えたのを覚えている。
家族みんなで「ぼーっと」。いいじゃないか。それのどこがいけないのだ。
しかもわたしは末っ子で、わたしがそんなこまっしゃくれたことを考える時期を過ぎてある程度の大人になれば、もしかしたらほんとうに、両親それぞれに、やりたいことはあったかもしれない。わたしの成長を待ってこそそれが可能だったのに、それにも気づかず、わたしは「ぼーっと過ごすだけでいいの?」と…。アホじゃないだろうか。
何度も何度も、それを思い出す。
わたしは30年以上前から、余裕のない子供だったのだな。そして、自分が「ぼーっと」過ごすことに、つい最近まで罪悪感をいだいていた気がするのも、まだまだあのころと変わっていない部分が、あるからなのだろう。
いまはただ、ほんとうに、ぼーっとしたい。金では買えない時間の贅沢。どれくらい努力したらぼーっとできるのかと、またそこで、発想の悪循環に陥ってしまいそうになる。