7年前のいまごろだが、生まれて初めての入院(しかも7週間)をしていた。そのころから感じていたことだが、体調不良のときというのは、妙な本を読んでいることが多い。
たとえばその入院のころ、体調はたしかに悪かったが、よくある程度のことが疲れもあって重なっただけだと思っていた。いつものこと——そんな気がしていたが、その「いつも」という名の表面張力を壊して水をぶちまけた最後の何かがなければ、わたしはそれまでどおり、ぎりぎりのところで普通の暮らしに、もどっていたかもしれない。
決壊させたものはなんだったのか。ひとつは容易に思いつくが、あまりに個人的なことでここには書かない。そしてもうひとつ思いつくのは、自分で悪い方向に気持ちが向かっているのにそれにあらがえない不思議な力、引き寄せ合う世界の存在だ。
体調がぼろぼろだというのに、そのころわたしは、自宅で寝転びながら桐野夏生の「グロテスク」を読んでいた。文庫のくせに上下巻で厚く、内容はどろどろと底なしの暗さ。通称「東電OL殺人事件」に着想を得て書いているもので、被害者と周囲の生い立ち、加害者とされている人物の生い立ちが、複数の視点から描かれる。
ぼろぼろのまま、どうかしてしまうのではと、病院に相談に出かけた休日の夜間外来でそのまま入院を告げられた。それから数日は高熱と精神的ショックで、とくに夜間を「無料でラリッた」状態のまま過ごしたわけだが、家族に身の回りの品を持ってきてもらう際、しっかりとこの本を頼んだ。どうかしていたとしか思えない。いつ退院できるかも不安でたまらない人間が、読むべき本ではけっしてない。だが、やめられなくなっていた。どっぷり浸かった。心身ともに、この作品が刻みこまれたと思う。
(体調が悪いから暗い本に惹かれるのか、やや悪いといった程度なのに、頭が体を引っぱっていって体調不良に拍車をかけるのか。どちらなのかはわからない。だがほんとうに、わたしにはこの「体が頭に引きずられていくように感じる」パターンが多い)
その「無料でハイ」の数日間、体調が悪いとき夢で妙なものを見た経験がおありの方も多いと思うが、わたしにはそれが何倍も濃縮されたような体験が待っていた。夢か覚醒かわからない状態で、目を閉じただけで妙なものが見えた。
見えた画像のうち、ひとつはいまも想い出せるのだが(大きなディスプレイ全体に、等間隔に派手なアイコンが並んでいるだけ)、わたしは微妙に動くそれらアイコンを見ながら、すごい真理を発見したと、まるで宇宙の真理か死後の世界でも垣間見たように、心臓をばくばくさせながら「そうだったんだ、そうだったんだ、いまならぜんぶわかる!」と、まるで全知全能の神にでもなったかのように、興奮していた。
(だがその画像が想い出せても「それが何なんだ」と、首をかしげずにいられない)
やがて正式に病名と診察方針が決定し、わたしはグロテスクを読み終えて、今度は何を思ったか、海辺のカフカを読みはじめた。自分では村上春樹を買わないので、おそらく家族が「流行ってるらしい」と、そのうち自分かわたしが読むだろうと、買って積んでおいたものを持ってきてくれたのだろう。これもまた、部分的に難解で、どろっとしていて、暗くて不条理。いまにして思えば、病人の読む本ではなさそうだ。だがすることがないので、本があればよく読んだ。7年経つのに内容もけっこう覚えているのは、ああいう状況で読んだからだろう。
これ以降は、薄い小説や、エッセイを読むことが増えた。体調がよくなる気配が見えたのだろう。わたしの心は暗い本に向かなくなっていた。
さて、最近のことだ。月曜に急激に体調不良になって、7年前と同じ状況(同じ病院で休日の夜間診察を受ける)となったとき、その前の週からのちょっとしたことや、読もうとしている本、買いたいと思っている本を思い浮かべて「ああ、状況がけっこう似ていたけど、今回は踏みとどまれそうだ」と、運命に感謝。
夜間診療で投薬と点滴だけで帰されてから数日、養生しながら寝転んで読んでいた本が、安部公房の「カンガルー・ノート」。もともと不条理なものを書く方だが、これはご自身の体調と病名を認識された時期以降に書かれはじめたものであり、やや「三途の川のあちら側」を意識しているようなぶっ飛び具合。頭で考えて書くぶっ飛んだ文章と、100ある思いを凝縮して10の単語にした場合のぶっ飛びは、にじみ出てくる色合いが異なるように思う。これは、まとまった形で出版された著作としては氏の最後の作品となるようだが、これも何かの縁なので、しっかり読ませていただこうと思う。
さて、最後に「無料でハイ」の件だが、わたしは画像だけ覚えていても、そのときの考え(全知全能の神になったような大きな真理を発見したはずなのだ ^^;)を忘れてしまった。だが頭が混乱している人間をそのまま映像作品にできる人もいる。どうしてこんなことが可能なのかと思う。
映画:レクイエム・フォー・ドリーム
妄想世界があまりにリアルなので(コカインで人生を壊されていく人々の頭の中)、ご関心のある方は、ぜひ体調のよいときにご覧あれ。