ブライアン・デ・パルマ監督のキャリーは大好きな映画で、いままで何回見たかわからないほど。近いうちに2013年版が公開になるそうなので、ケーブルテレビの映画チャンネルなどでは、76年版を何度か放送している。
先日、そんな放送を後半中心に見ていたところ、ちょっとした発見があった。
晴れ舞台で幸せ絶頂のキャリーの頭上から、アレが落ちてくる。
事情を知っていたいじめグループの女たちが、吹き出す。
このあとだ。わたしは「キャリーがみんなに笑われた、女性教師など、信頼している人たちまでもがキャリーを笑った」と、思っていた。変な映画だ、世の中が終わってるな、キャリーが怒るのも無理ないや、と。
だが映像をよく見ていると、違うようだ。
いじめグループは、たしかに笑う。派手に吹き出す。だがキャリーの頭の中は母親の「あんたはみんなに笑われる」という声が谺していて、すでにパニック。何がなんだかわからない。だから全員に笑われていると、思いこんでしまった。
こうして見直してみると、周囲のみんなが笑っている映像は、パニックしたキャリーが見ている幻影と思えたし、邪悪なイフェクトをかけたような加工がなされていた。だいたい、あの状況で笑える人ばかりだったら、アメリカの高校は終わっている。あんなものが降ってきて主役が絶叫し、隣にいたパートナーの男子高生はブツが落ちてきて気絶するのだ。そこで全員が笑ったらおかしいだろう。
それに、明かりが消えて悲鳴が上がり、カオス状態になった会場にて、大部分が我先にとドアに向かう状況においても、教師を含む何人かは、キャリーの隣に倒れた男子高生の様子を見に、舞台までやってくるのだ。
(だがパニックして猛烈に腹が立っているキャリーに、ひとりを除いて全員が惨殺される。惨殺されなかった女子生徒は、たまたま「キャリーの目にはいらなかっただけ」という、すさまじい血祭り)
初めて見たときは「けっきょく笑われちゃったんだ、キャリー。だから怒っちゃったんだ」と思ったような記憶があるが(何せ中学か高校のときだったので知恵が浅くてお恥ずかしい)、いまこうして見ると、もう少しちゃんとしていたらしい。
さて、まもなく公開の新作は、キャリー役の女の子よりも母役のジュリアン・ムーアが目立ちすぎるので、おそらく母親の設定がもっともっと複雑になって、出番も増えているに違いない。ぜひ、見てみたいものだ。