今日は朝の9時前から給湯システムの取り替え工事があり、工事の人が2時間ほど作業をしてお帰りになった。晴れていてよかった。雨ならおそらく延期だっただろう。
昼に初めての店から、注文しておいたバウムクーヘンが届く。この件は明日にでも、ここのバウムクーヘンカテゴリに、書けるかと思う。
そして午後は新宿で物産展をめぐった。タカシマヤの京都展では何も買わず、地下やハンズで買い物をしてから京王に移動。そこの九州展で美味しいさつま揚げを買った。この件はすでに買い物メモで掲載。
さて。
「確信犯」の話。現在の一般的な用法では「あなたは、わかっていてやったでしょう」という意味で使われるが、本来の意味は異なると聞いている。
たとえば自分が物事の正当性をつゆほども疑わず、周囲や社会に迷惑をかける行為であっても自分が正しいのだからと押し通す、それが確信犯だ。
先日ある場所(ネット上)で、その本来の意味の確信犯を見た。偏っている考えなのに、自分の言葉で解説をそえるでもなく、ただ写真やリンクを貼りまくり、相手の目の前に無理やりさらして無言で去っていく。
そんなことをされて、相手がいちいちクリックをして、真意をくみとると思うのだろうか。それらを消す作業や周囲への影響を考えたら、迷惑を通り越してあきらかに暴力行為だ。
言論の自由という言葉は、どこで何を書き散らしてもいいというのとは、ちょっと違う。自分は言いたい、あなたの言葉も聞くのだからわたしにも言わせて…である。相手の反論や迷惑な顔を見る前に書き散らして去っていくのは民主主義ではないし、言論の自由という言葉に守られると思ったら筋違いだ。
ネット上には、実社会同様に、いろいろな人がいる。悪いとわかっていてこそこそ行動をする人には、迷惑ですと言うことができるが、自分が正しいと思う人にはその理屈は通じない。
出会ってしまったら拒絶する、だが門戸だけは開けておく、そのさじ加減が難しい。ネットワークやコミュニティの管理をしている人には、そのあたりが悩みの種ではないだろうか。