おとといのことだが、昭和61年の日付がはいった目覚まし時計(置き時計として使っていた)が、壊れた。これまでも調子が悪いことはあったし、あまり動作に関係のない部品が外れてしまったことはあったが、なんとか使えていた。
だが、おとといの晩、数十センチの高さから落としてしまった。針が内部で外れてしまい、今度こそ利用不可能に。
ひっくり返して、日付を見た。昭和61年11月に、高円寺駅前に当時あった吉甚さんで買ったものだった。目覚ましとして使っていた期間はあまり長くなかったかもしれないが、台所などで、時間を見るのに使っていた。
大きな存在と思わないまま、日に何度も何度も見ていて、壊してみて初めて、その大切さに気づく。
あとで次を買いに行こうと思いながら、何度も何度も、その場所を見て「あ、ないんだ」と。
不便さと喪失感に耐えられず、今日の夕方になって時計屋に出かけ、代わりを買ってきた(左側)。今度はセイコーだ。
ところで、時計屋を探すのがたいへんだった。最初は「あとできちんと買い直せばいいのだから、100円ショップで間に合わせを買おう」と、近所まで出かけていったところ、100円ショップで数百円で売られているものは、どれも「マンガン電池を使用、充電式は使わないで」と書かれていた。エネループが使いたかったので、それでは困る。数日の間に合わせのために主義に反してマンガン電池を買うのも嫌だった。
そこで「野方の駅近くに時計屋はなかったか」と、散歩がてらに歩いていくことにした。
野方駅の北口を少し進んだところに、以前に記憶していた時計屋があった。幸いなことに目覚まし時計も複数飾ってあったため、ひとつを購入できた。どれもだいたい3000〜3500円(税込み)だった。お店の人は親切に「鳴らしましょうか」と、音を確認させてくださるおつもりだったのだが、置き時計として使うのでと、それは辞退した。
少し話をした。「安い時計はマンガン電池しか使ってはだめと書いてあって困っていた」と伝えると、驚いていた。そんな時計があるんですか、と。さらに、どうしても今日買いたくて、このあたりにお店があった気がして歩いてきたんです、見つかってよかったですと話すと、以前は界隈に時計店が8軒もあったという。
時計店は、たしかに減っている。腕時計すらスマホの台頭で出番が減っているのだから、柱時計や置き時計も同じ運命だろう。かつては新築祝いや結婚祝いなどで活躍した柱時計も、小さめなサイズの壁掛けタイプが利用されているように思う。
30年以上も同じ時計を使っていたことに気づかなかったが、時計店が減っていることにも、業界の変化にも無頓着だった。
時計ひとつで、いろいろなことを考えるきっかけになった。
今度の時計は、何年くらい使えるだろうか。