身近な親戚に創価学会の人がいた。その人も若いころに騙されて入信させられてしまったと周囲から聞いたのだが、わたしが知っていたころはその家族全員でとても活動に熱心で、ほかの人を勧誘することもあった。
数十年前に、アポなしで親戚宅をまわっては池田大作関連の短いフィルムを上映し「次は○○さんちに寄ってから帰る、またね」と、嵐のように去っていった。そしてどの家でも強制的に見せていたのだろうに、まるで自分たちが初めて見るかのように目をうるうるさせていたのが印象的だ。
ぼんやりした記憶と聞いた話を総合すると、わたしの親や周囲が目を光らせて、未成年のころのわたしが勧誘されないように本人に釘を刺してくれていたようだった。だが成人するかしないかのころ、その人のお宅に何か預かり物を届けに行った際、数時間ほど滞在したらすぐ家に帰ろうとしていたときのことだ。
同年代を含むその家の全員が近所の集会所に出かけて留守になるが、ひとりでここで待っているよりも、一緒に来ないか、と。そのあとで、また少し話をしてから家に帰ればいいと。
それが創価学会の集まりだった。近所の大きな民家で、なんだかわからない集まりなので隅にいようとしたら、「初めての人がいますね」と、リーダーのような人にすぐ見つけられてしまい、話の中心に入れられそうになった。そのとき親戚の人たちが(わたしの親から言われていたためと思うが)「この人は信者になるわけではなく見学です」と紹介してくれたので、それで収まった。ほっとした。
だが集会が終わって親戚の家にもどると、かばってもらっていたどころか逆だったことがわかった。
もともと、その集会に呼ばれていたのは未成年から若い人ばかりで、わたしを連れていった親戚の家が全員留守になるというのは嘘だった。行く必要がなかったのである。
その話は田舎の親に報告したと思う。わたしとしてもその後あまりそのお宅に長居をすることがなくなり、いつしか疎遠になってしまった。だが用事で会うときに誘われるようなことはもうなかったので、おそらく親がまたわたしを勧誘しないように強く言ってくれたのだろうと思う。
しばらくあとになって聞いた話としては、若いころに騙されて入信させられ、あげくに子供たちも入れてしまったのち、自分が若いころにどれほど苦しかったのかを思い出したのかもしれない。のちに子供たちが自分の意思で抜けやすいように、少しずつ創価学会と距離を置くなどの工夫をしていたふしがあるという。
その方は、もう故人である。そのご家族とも現在お付き合いがないが、おそらくわたしと同年代の人たちは、抜けたのではないかと風の便りに聞いている。