東日本大震災の年に義父が他界し、生活環境の変化による不安と認知症で日夜を問わず騒ぎまくった義母を東京に連れてきたのが、2011年7月末だった。
その8年後の2019年7月頭に特養に入れてもらい、いまは月に1回程度わたしたちが窓越しに手を振っても反応を示さない義母。入所から3年経つのに、わたしたちはまだ義母がいた日々が頭から離れず、頻繁に「こんなことがあったね」と語り合う。
夜の9時を過ぎたら物音を立てないようにしていたこと。自分たちが就寝前に歯を磨いてトイレに行くには、一度に出かけて階段の上り下りの音を減らしたこと。毎朝、義母が何か粗相をしていないか、ビクビクしていたこと——義母のいる部屋は台所に直結だったため、朝食の支度をする前に粗相の始末をするのは気分が滅入った。
あの頃のことを考えると、たいていのことは耐えられる。なにせあの頃は「これがいつ終わるのか、どう終わるのか」がわからなかったから、頭がどうかしてしまいそうだった。ご近所にも相当の迷惑をかけていたはずだ。
そして気づけば、自分たちが老後について考えなければいけない年代。先例を考えると自分はボケたくないのだが、事前に対策を講じることができるものなのか、あるいはくじ引きみたいなものなのか、そんな漠然とした不安がある。